君の目を見つめると
キラキラ光って見えた。それは希望。
将来の夢ややりたいことがあるのだろう。
だから目がキラキラとしているのだ。
羨ましい限りだか、大切にしてほしい。
その光が消えないことを願うよ。
星空の下で
6月のある日、蛍を見に行こうということで山奥まで行ったことがある。
夜になって川沿いに行くとぽつぽつと光があった。
それら全て蛍だった。さらに川の音や虫の音。自然の音が沢山して心地よかった。
そして親が
「星も綺麗だな~」と言ったので上を見た。
空を見て唖然とした。綺麗すぎて言葉がでなかった。星で埋め尽くされた空、1つ1つ光の強さや色、大きさが違う。それでもこんなに綺麗に見える。
これが絶景というものなのか。そう感じた。
「パバ確かに凄いね!」
とパパの方を向くと、パパも上を向いていたのと、周りが暗かったのが重なって、首が消えた人みたい見えて「ヒェッ」と感じた。正直かなり怖かった。
蛍が綺麗だった事、星が言葉を無くす程凄かった事、自然の音を聞けたこと、お父さんの首が無くなったかのように見えた事。
これはきっと忘れられないだろう。
それでいい
「それでいい」
と聞くと良い印象が最初に思い浮かんだ。
しかしそう言っていても実際はそう思っていないかもしれない。人間はそんなんだから。
内心「下手だな」「もっとちゃんとやってよ」
とか思っているかもしれない。しかしほんと「それでいいよ!」と思っているかもしれない。
疑いすぎるとストレスになるから、自分は「それでいい」だけを見て受け止めることにする。
1つだけ
田舎に行くと星が綺麗だ。と言うのは良く聞く話。
小さい頃に見た事があったけど、本当に綺麗だった。
都会の夜空とは大違いだ。都会は電気が沢山着いていて夜でも明るい。その分星は殆ど見えない。
毎日仕事をして明るすぎる町を歩きながら家に帰る。空を見上げても周りの明かりが邪魔をしてチカチカ光ってみえ、目が乾く。
こんなに光を見ているから目の視力も落ちて、メガネをつけなければいけない。
都会が悪い訳じゃない。だけどたまに嫌になるんだ。疲れるんだ。明るすぎる町が。
そんなある日の帰り道。いつもどうり明るい町を歩いていた。その時光る何かが通った。この明るすぎる町で"光"はそこらじゅうにあるが、この通った光は何か違った。眩しすぎる光ではなく、とても柔らかな光だ。その柔らかな光を見る。それは一匹の蛍だった。その蛍は弱っているのか相当低い位置で飛んでいた。スっと手で捕まえて、蛍を見た。
弱々しく光っている。あの田舎の星と同じくらい綺麗に見えた。乾いていた目が潤っていく感覚がした。心が満たされた。
しかしふっと光が消えてしまった。
つんつんしてみてもなんの反応もない。
この町にはない、たった1つだけの光が今消えてしまった。
人混みの中、沢山の人が俺を見ているにも関わらず、しゃがみこんで泣いていた。
大切なもの
小学1年生の頃に大切なものがあった。それは
"太陽に当てるとキラキラして綺麗な宝石"だった。
それは、学校の運動場で拾ったもので、当時の私は「綺麗!」と思ってポケットに入れた。
見た目は白くて宝石みたいな形をしていた。
さらに太陽にかざすとキラキラ光ってすごい!と思っていた。
拾ったそれを友達にも見せたりして、さらに学校で「大切なもの」というお題で綺麗な宝石を発表したりもした。
この綺麗な宝石を仕舞う場所が欲しいと考えて、家の中を探していたらキラキラした箱(横7cmくらいの)を見つけたので、「宝物ボックス」と名前をつけてそこに綺麗な宝石をしまった。
ある時、綺麗な宝石が無くなっている事に気づいた。当時の私は結構ショックを受けていたと思う。
しかし2年生になる頃にはほぼ忘れていた。
ただ、その綺麗な宝石は無くなってしまったが
「宝物ボックス」の中身だけはじわじわと増えていった。例えばキラキラしたビーズだったり、父からくれた珍しい切手だったり。
低・中学年の大切なもので溢れていた。
時は流れて中学3年。今思うと綺麗な宝石も服とかに着いてるやつだし、ビーズだって百均で売ってる。(切手はほんとに珍しかったのかもしれないが)
子供の頃はそんな物が「大切なもの」だったのに、今となってはそれらは正直ゴミにしか見えない。
でもあの綺麗な宝石のキラキラした感じは覚えている。すごい!というワクワク感。
多分もうあのワクワク感は味わうことはないんだろうなと思いつつ。
「宝物ボックス」をゴミに捨てた。