すべてのひとは、心に鬼を住まわせているという。
鬼はふとした時に顔を出し、ひとを惑わせ、悪しき方向に誘導する。
鬼を飼いならし、鬼に何を囁かれても、それに抗う術を身につけること。
何事にも動じず、常に悠然と構える。その姿を民に見せ続ける。それが、上に立つもののさだめである。
父に、何度も言い聞かされていたことだ。
心がけていたつもりではあった。
しかし、侵略者を前に床に伏す父を見た瞬間、堰が切れて水が溢れるように、激情に身を投じてしまった。
これが、鬼か。鬼に支配されるということなのか。
師が止めてくれなかったら、鬼に身を窶(やつ)した自身は、動くものすべてに襲いかかり、果ては侵略者に串刺しにされるまでそれを辞めなかっただろう。
ぞっとする。
けして、けっして、他人の死を望んでいるわけではない。誰かを傷つけていいなんて、思っていない。
望んでいるわけではないのに、己の行動は一直線だった。迷いも躊躇もなかった。
鬼を飼い慣らす? そんなことできるのだろうか。
また、深い感情を覚えれば、鬼はその首をもたげるのではないか。
恐怖を覚える。
そしてそれ自体も恐ろしい。
恐ろしくて父の弔いも、悼むことすらできずにいる。
『だから、一人でいたい』
若者は、大真面目に、真実を見定めると言った。
それを聞いたとき、女は豪快に笑ったのだ。
生きるために、何をすべきか。何を大切にするのか。大切なものを守るために、何を切り捨てるのか。人の数だけ答えがあり、人の数だけ不正解がある。ある人にとっての真実も、ある人にとっては偽りと嘘になる。女はそれを知っている。
だが、若者はそれができると、成すべきだと、女を正面から見つめ返す。それが女には好ましくも思える。かつて女も、信じる道をまっすぐにまっさらなまま歩く未来を思い描いたのだから。
たとえ、若者と自らの道は、今きっぱりと分かたれたのだとしても。
『澄んだ瞳』