鏡
小学校くらいまで
鏡の向こうにも本当に別世界があるのではないかって
真面目に考えていた。
実際、そんな物語もある。
物語は物語だ、
鏡は光の反射を利用した道具だと大人は言った。
でも、私にはそうわかっていても
どこかで別世界の存在を信じていた。
まず、頭をぶつけてみた。
……痛かった。
指で触れてみた。
指紋がたくさんついて拭かなきゃいけなくなった。
鏡の前でジャンプしたり、鏡を覗き込んだ。
鏡に映った私もジャンプをし、覗き込んだ。
私は思いついた。
鏡を二つ持って来て、あわせ鏡にした。
どこまでも、どこまでも続く通路みたいになった。
私は覗き込んだ。
沢山の私がいた。
でも、私は鏡の中に入ることも、
たくさんの私一人一人の違いを見つけることもできなかった。
しばらくすると、諦めた。
今は実際に実行しようとしたり、
信じ込むことはしなくなった。
それでも完全に否定することはできず、心の何処かでもしかしたらと思うことはある。
いつまでも捨てられないもの
小さい頃からあるお気に入りのたこのぬいぐるみ。
年々増えてゆく心のこもった手紙。
かなりブレている子供の頃はしゃいで撮った写真。
物語を覚えてしまうほど繰り返し繰り返し読んだ絵本。
海岸にて夢中で拾い集めた貝殻。
公園で
まだ小学生にもなっていないくらいの女の子にもらった、
シロツメクサの指輪を押し花にした栞。
私には珍しくてずっと欲しいと思っていた
透き通ったビー玉。
公園で母に我儘を言ってまで長い時間探した記憶のある
四つ葉のクローバー。
小学校低学年くらいのとき、暇だと言ったらくれた
リリアンの道具。
頭痛に弱く、
病気の時に頭が痛いと泣きじゃくっていた私に
魔法の道具と渡されたかわいいポーチ。
どれもこれも思い出がギュッと詰まった大切なもの。
だから私はいつまでも捨てられない。
誇らしさ
褒めてくれるラインは自分でなんとなくわかっていて、
そのラインは手に届かないと思う程高かった。
だから、それを達成できて喜んでいるときに
褒められると本当に嬉しいし、自分に誇らしさを感じる。
普段は特別なにを考えるわけでもなくしていた行動が
ふとしたときに喜んでもらえたり、
褒められると誇らしさを感じる。
影でそっとサポートしたり、
影でずっと努力したり、
そんな見えにくい部分をしっかり見ていてくれて
それを認めてもらえたとき誇らしさを感じる。
けれど、全て他人からの評価を受けてできる誇らしさで。
自分自身で誇れるのは何だろう?
なにか小さなことでも自分一人で成し遂げたとき?
前よりも上手くいったとき?
うーん……そうだ、負けず嫌い。
これは自分の好きな部分であり、誇れる部分。
逆に私という人間の人生からこれを取ると
やる気のない、何かしたいこともない、
そもそも動くのも考えるのも嫌というような
今よりもひどいめんどくさがり人間になってしまう。
だからこそ、誇れる。
これのお陰で積み重ねることができてる。
夜の海
海の近くに泊まった事がある。
旅行でテンションが上がっているのか、
中々眠れなかった。
ザーッ、もしくはゴーッ、
みたいな波の音がずっとしていた。
確か、私が雨女だからか
せっかくの旅行は雨だった。
風もあった。
だから波の音がずっと響いていた。
少し恐怖を感じるほど波の音がしていた。
部屋が静かな分、音が大きく感じたのかもしれない。
けれど、だんだん慣れてくると落ち着くBGMになった。
結局、朝まで波の音を聞いていた。
自転車に乗って
私は運動音痴である。
階段を登るだけで息があがるくらいには駄目だ。
自転車には乗れるものの、
乗らなきゃいけない場合か、
乗りたくなる理由がある場合しか乗らない。
自転車に最近乗った記憶は、
図書館と母に頼まれたおつかいのみ。
それも、最近と表現してよいのか微妙なところだ。
また久しぶりに乗ろうかな。
気が向けば、だけど。