心の健康
今は大丈夫。
心も体も元気。
私は心の健康が崩れるとき、必ず共通点がある。
まず、何もしたくない、
考えたくないという気持ちが出てくる。
そして感情の上がり下がりがおかしくなり、
好きなものや、ことがわからなくなる。
そんなふうに段々酷くなっていく。
最終、眠くても中々寝れなくなる。
だからはじめの方で気付けるよう心がけている。
大体は原因から距離をとるか、
しっかり眠る、好きなこと(読書)をする。
それでも駄目なら思いっきり一人で泣く。
すると、少しは楽になる。
ああ、こんなことをしている場合じゃないと
段々馬鹿らしくなり、元に戻る。
元に戻れば大抵なことは乗り切れる。
心の健康は大事だ。
心の健康が崩れれば
体にも良くないし、
視野が狭くなってしまうから。
終点
小さい頃から度々乗った電車。
「次は〜○○〜」
アナウンスが流れる。
「降りるよ」
「ついたの?」
「うん」
その駅は、終点だった。
帰り、また電車に乗る。
「始発○○〜」
なんで終点が最初なの?
そんな疑問をもった。
が、眠気には勝てなかった。
結局、聞きそびれた。
今になれば不思議でもなんでもないけれど、
ずっと、終点から電車は出発しないと思っていたから
当時は自分の中でかなり深刻な問題だった。
これも思い出だ。
上手くいかなくたっていい
お皿を洗えばお皿をわり、
服を洗えば服を落とす。
指示されればミスをし、
されなければ動けない。
何かを成し遂げたいと思えば惜しいところで失敗。
誰かを信じてあとから嘘に気付き
信じなければ嫌われる。
信じてた人には裏切られ、
挙句の果てには忘れ物。
自分らしくいたいと願いながらも
取り繕うのをやめられない。
歩けばこける。
階段は落ちる。
溝にははまり、電柱にぶつかる。
人と話すのに異常に緊張。
心の中に膨らんでいくマイナス思考。
思い出せば思い出すほど出てくるうまくいかないこと。
毎日この中からいくつかランダムで現実になっている。
それも自分にできる限界の注意を払っていても。
上手くいかないことだらけ。
それでも今日も生きている。
それでも毎日が楽しい。
それでも居場所がある。
誰かが必要としてくれる。
迷惑をかけてばかりかもしれない。
だから、私はできる限り手伝うし、
誰のことも悪く言わない。
自分の最善を全力でする。
私は上手くいかないことばかりの人間だ。
だから人が上手くいっていなくても
それが本当に駄目なことでない限り、
私と同じ頑張った結果なら
上手くいかなくたっていい、と
笑って許せる。
上手くいかないのはお互い様だから。
蝶よ花よ
「物置部屋片付けるから手伝って〜!」
「はーい」
これはある休日のことだった。
母に呼ばれ、物置を片付けていると
すこし埃の被ったアルバムが出てきた。
表紙には「1」とついている。
私が生まれたくらいの頃のものだろうか。
ページをめくり、写真を見る。
私と思われる赤ちゃんの写真。
日常から記念日までなんだか枚数が多い。
可愛がられているなあ、と
「2」のアルバムも見つけ写真を見る。
物心つくかつかないかの写真。
とても可愛い服に(センスいい)、
美味しそうな食べ物(お母さんの手作り)。
あちこちに写っているお気に入りのぬいぐるみ。
私は満面の笑み。
こうして見ると、
厳しい面もあったけどなんだかんだとても愛され、
蝶よ花よと甘やかされ育ったんだなと思う。
最初から決まってた
私はこの言葉を信じない。
最初から決まってたなんて楽しくないから。
最初から決まってたのなら、
今私が必死に頑張っているのは、
痛みを堪えているのは、
笑ってるのは、泣いてるのは、怒ってるのは、
生きてるのは、息をしてるのは、
何故?
この世界の行く末が決まっているのなら、
私一人くらいいらないでしょ?
そんなマイナス思考に陥ってしまうから。
私が存在している意味を、
ほんの少しでいいから欲しい。
楽しさを追いかけたら、
好きなものを追いかけたら、
人生、良かったと終われるかな。
無力でも、少しだけでも頑張れば
私も誰かの役に立てるかな?
そんな思いも、全部決まってた?
あのとき、笑いあったのも
あのとき、悲しんだのも
全て、決まってた?
人の感情、動き、全て決まってた?
そうならば、あまりにも空っぽで寂しすぎる。
だから、絶対信じない。
信じたく、ない。
信じるもんか。