秋風
爽やかに吹く秋の風の音を爽籟(そうらい)というらしい。
なんて素敵な言葉だろうと、日本語の豊かさに目を瞠った。
(あの国民的マンガでこの言葉を知りました。)
#88
また会いましょう
「じゃあ、また会いましょう。今度は飲みに行けたら嬉しいな」
街で偶然会った彼女は、少し上目遣いをして笑いながら小さく手を振った。そして背を向けて歩き出す。
俺は大きく息を吸い込んだ。顔が熱くなる。心臓がバクバク鳴り始めた。いつもなら社交辞令と思うところだけど……。
でも、これは行くだろ。またっていつだよ?
――決めるなら今でしょ!
俺は腹に力を籠めて、彼女の背中を追いかける。
「待って。この近くにいい店あるんだ。よかったら今から――」
#87
スリル
スリルが欲しかったのは、守られていた頃。
退屈な日常を維持する大変さなんて思いもしなかった。
(日常で冷や汗をかくことって結構あるのに!)
今は普通でいいよ。守りたいものがあるから。
ほんの少しのトキメキさえあればね。
#86
飛べない翼
人類は二種類に分かれている。翼のある有翼種とそうでない普通種だ。有翼種の方が人口の比率的には四分の一くらいと少し少なめで、多少は身体上の習慣の違いはあるけれど、私たちは平和に暮らしている。
私の幼なじみは、大きくて強い青灰色の翼を持つ有翼種の少年だった。彼はその翼を活かして数々のスポーツ大会で勝ち、将来を期待されていた。私は彼の飛ぶ姿を見るのがとても好きだった。
「飛ぶのは気持ちいい」
彼はよく言っていた。そういう時の彼はとても嬉しそうで、翼のない私はいつも羨ましく思っていた。
一度だけこっそり抱えて飛んでもらったことがある。危険行為になるので、家の二階くらいの高さに持ち上げてもらっただけだけど。
ふわりと静かに体が浮いたのはとても楽しい思い出。
しかしそんな彼は大学生の時、事故に遭い、片翼を切り落とすことになってしまった。彼に非は無かった。
片翼になった彼は落ち込んで、苦しみ、もがいた。本当に彼は飛ぶことが好きだったのに。彼は部屋に閉じ籠もり、私はそんな彼を見ていることしかできなかった。なぜ彼だったのか。私は彼の不運が悔しくて、支えになれない自分がもどかしくて、何度も隠れて泣いた。
一年ほど経ち、ようやく彼が落ち着き始めた頃、私はほっとすると同時に一つのことが気になり始めた。残された片翼はどうするのだろう。あの綺麗な翼は。
通常は有翼種が片翼になった場合、もう片方も切って、普通種として生きるのが一般的だ。
片翼では飛べないし、現時点では義翼(というのか?)はほとんど見た目だけの物でしかない。彼はどうするのだろう。
そんなある日、彼は落ち着いた声で言った。
「切ることにしたよ」
「……そうなんだね」
「飛べない翼など要らない。何の意味も無い」
静かな声がまるで悲鳴のように聞こえて、私はうまく返事ができなかった。何を言えばいいのだろう。本音を言えば、彼の背の翼をそのまま見続けていたい。私には世界一美しい翼だ。でもそんなこと言えるはずがない。一番つらいのは彼なんだから。
それでも意味が無いなんて、言わないで欲しかった。
確かに飛べない。では意味が無いのか? 私の心はそうじゃないと叫んでる。でもこの気持ちを彼にうまく伝えられる気がしない。少しでも言い方を誤ったら、歩き出そうとしている彼を必ず傷つける。私は黙っているしかなかった。
その後、翼の切除手術は簡単に終わり、今、彼は普通種としての生き方を模索しながら、前向きに生きようとしている。瞳にあの頃のような光が戻ってきた。きっともう大丈夫だろう。
彼の飛べない翼は、最後に彼の背を未来に押し出してくれたのだ。
彼は失くした翼の話はもうしない。私もしない。いつかできるかもしれないけれど、だいぶ先になるだろうし、それでいいと思う。
だからこれは私の心の中だけの想い。
私はあなたの翼を忘れない。空に吸い込まれそうだった大きな青灰色の翼。その翼で風に乗って自由に飛んでいる姿を。そして飛べない翼でさえ、私を魅了していたことを。
#85
ススキ
初めてススキ野原を見たのは、関西圏のススキの名所、奈良県曽爾村の曽爾高原だった。
一面のススキの海。昼間は銀色の波のように、夕方は夕陽に照らされて金色に揺れている。
背の高さを超えるススキの間の遊歩道を歩いた。まるで迷路みたいだ。
夜になるとほぼ真っ暗で、月の光とライトアップの灯りだけが頼りになる。光にぼんやり浮かび上がるススキの間から何か出てきそうで、その妖しい雰囲気は昔話の中にいるような気分になった。
アクセスは良くないですが、一見の価値ありです。ぐるっと回るとちょっとしたハイキングになるので、歩きやすい靴をおすすめします。
#84