シオン

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1/8/2025, 9:55:38 AM

 赤い月が空のてっぺんに上がる頃、お昼を済ませたウィルとサルサは城の外、といえども門の中にある庭に立っていた。
 庭には花が咲き誇っており、風がサルサたちに向かって吹いていた。そんな様子を見ながらウィルが言った。
「……どうですか」
「…………え」
 ウィルの問いかけに対して酷く困惑したような顔でサルサは答えた。
「どう、と言われましても…………大きいなぁ、みたいな」
「……ふふ、そうでしょうね」
 意味深な笑顔でウィルは笑った。
「さて、今日は少しこの世界にしかない『魔法』のようなものをいくつか披露してさしあげます。貴方がどこかで見た時に不必要に驚いてしまうと、貴方の正体を知らない者に不信感を抱かせてしまいますからね」
「不信感………………?」
「不信感です」
「供物が城内で働いているということを知っているのは一部です。それ以外の職員は新人として採用されている、と伝えられています。なので、浮くようなことをすると不信感を抱かせてしまいます」
「…………え?」
 サルサはひどく驚いたような顔をした。
「信じられないかもしれませんが、そういうことなんですよ。わ、我々も供物とかはあんまり言わないようにするわけです」
「分かりました…………」
「さて、いくつかやりましょうか。……どんなものが見たいとかのご希望はございますか」
 その言葉に、目を閉じて考えたサルサはおずおずと声を発した。
「……空を飛ぶ……とか」
「無理です」
 サルサは提案をキッパリと断られ、悲しそうな顔をした。そんな表情を見たウィルは軽く目を伏せた。
「……言いたいことは分かりますよ。魔法なんじゃないのか、と。ですがね、あくまで我々が使えるのは『魔法のようなもの』なんですよ。だから、空を飛ぶとかまぁいわゆる『零から一を生み出す』という所業ができません」
「…………そう、なんですか」
「さらに、高度な魔法になってくると私ではできなくなります。後日、魔法のスペシャリストのことを紹介しますが、限度というものがあります。高度なものの例としては『石から水を生みだす』などの『個体を別の個体に変える』所業が私にはできません。私にできるのは力や物を増やすことです」
「…………力や物を増やす?」
「実践しましょう。小物とか持ってますか」
「あ、はい!」
 サルサはポケットから消しゴムを取り出してウィルに渡した。彼が手で強く握りしめてから開くと、消しゴムがふたつに増えていた。
「あ、増えてる……!」
「はい。これが『物を増やす』ことですね。じゃあ次に力を増やすことにしましょうか」
 そう言って庭の方に手をかざすと、風が少し強くなって、追い風になった。
「…………風の向きが……」
「これは風力という力を増やしました」
「……なぜ逆に」
「……好みです。前髪、崩れるの嫌なので」
「…………なるほど?」
「それよりも。風が力を増やしたので強くなったでしょう」
「そうですね」
「これが、私たちが使える『魔法のようなもの』です」
 ウィルは優しく微笑んだ。

1/7/2025, 9:24:04 AM

「今日は少々予定がありまして、十七時頃になるまで貴方の元にいけませんので、昨日の復習をしていただけますか?」
 朝六時に顔を出したウィルは申し訳なさそうに眉を下げながらそう断りを入れた。
「大丈夫です……! むしろ、ボクに時間を使っていただけるなんて申し訳なくて…………」
「また、そのようなことを言うのですか。貴方の教育係として任命されてるので、時間を使うべきなのは貴方であり、むしろ今から向かわなければいけない事の方が私の時間を割いていると言えます。分かりましたね?」
 若干の圧を残しながらそう問いかけて答えを聞かずにウィルは扉を閉めて去っていた。どういうわけか、扉の鍵を掛けられてしまったらしく、外からしか鍵を開けられないためにサルサは部屋の中に閉じ込められてしまうことになった。
 が、そこまで気を悪くしなかったらしい。扉が開かないことを確認したサルサは少々不思議そうな顔をしただけで、部屋にあるテーブルの前に腰掛けたのだった。
「……やるか」
 小さく呟いたサルサはノートを開いた。そこには昨日書庫で教わったことが事細かにメモされている。
「月は赤と青があって、赤が太陽と同義……。太陽も赤いから色で統一されてる感じがする。…………まさか、そんなわけないか。デウス様はボクら人間の信仰する対象。そんなお方が合わせるなんてはずはないか」
 サルサは一つため息をついて、窓の外を見やった。赤い月が空の半分くらいの高さで光り輝いている。
「……少しだけど怖いな。まるで、神様が生きてる世界じゃなくて……」
 『地獄みたいだ』そんな言葉が零れ落ちそうになったのを受け止めるかのように口を塞いだ。
「……まさか、ここが……いや、そんなわけがない。だって地獄は悪いやつが来るとこだ。デウス様はボクたちのことを導いてくださる神様。悪いやつなわけがない。だからここは天界。そうだ、きっとそうなんだ」
 まるで言い聞かせるように呟いた彼の顔は微妙に歪んでいる。
 ふと思いついてしまった些細な違和感は気になってしまったら、忘れない限り気になり続ける。そして、忘れるのはなかなか難しい話である。
「はぁ…………」
 ため息をついてノートに向き直るもすぐに顔を上げてしまった。立ち上がってカーテンを閉めれば、景色は確かに遮られたが白いカーテンが赤い月の光を部屋に写した。
「…………ボクはここで生きていかせていただくんだから、変な邪推はしてはいけない……。いけないんだ…………」
 頭を抱えながら座った彼は、少しの間目を閉じた後に首を振ってからノートに向き直った。
「復習をしなくちゃ。…………えっと、ここの世界は一ヶ月が三十日で、それが十二月まであって、十三月が五日間ある。人間界が閏年の時は一日増える……」
 ノートのメモを音読した彼は、ふと眉をひそめた。
「……十三って、悪魔の数字、とか聞いたことが………………」
 今度は口から言葉から零れるのを止められなかったらしい彼は、小さくため息をつきながら、首を振った。
 一度不信感を抱いてしまえばもう駄目なことは誰の目にも明らかである。
「……ウィルさんと一緒に勉強をしていた時はこんな思考が浮かぶことなんてなかったのに」
 サルサは小さくため息をついた。

「だから言ったでしょう! 思考回路を一部塞いでないとめんどくさいことになると!」
 そう問い詰めるように言ったプロムに対してデウスは若干目を逸らしながら言った。
「……あまりにも従順だったから良いかと思ったがやはりダメか」
「当たり前でしょう。アイツだってダメだったんですよ」
「あぁ……分かった。これからは掛けるのを忘れぬようにしよう」
「……そうですね」
 プロムは満足気にそう言った。

1/6/2025, 5:01:27 AM

 きっかり六時にサルサの部屋にやってきたウィルは「今日からそろそろこの世界の常識とかをお教えしましょうね」と言った。
 しかし、そこからすぐに勉強会が始まるわけではなく、部屋の外へと連れ出されエレベーターを待つことになっていた。
「…………どこに、行くんですか……?」
 サルサが沈黙に耐えきれず恐る恐るそう尋ねれば、ウィルは軽く微笑みながら答える。
「先程言った通り、常識とかをお教えするためのお部屋に行きます」
「そんな部屋まであるんですか……!?」
「ないです」
「…………え」
 淡々とした声で否定され、困惑と共に固まってしまったサルサに対してウィルは楽しそうに笑った。
「……嘘ですよ。文献がある方が勉強しやすいでしょう? だから、書庫に行こうとしてるだけです」
「な、なるほど…………」
 サルサの返事とワンテンポずれてエレベーターが到着した。
「行きますよ、サルサさん」

「ここが書庫です。どうですか?」
「…………広い、です」
 高さ二メートルくらいの本棚に本がびっしり詰まっている。それがどこまでもどこまでも奥まで続いていた。
「はい、とても広いです。でも、いずれ奥が見えます。覚えておいてくださいね」
「…………え?」
 意味深な言葉を吐いたウィルはサルサの困惑に対して答えを明示することなく、書庫の奥まで進んでいく。しばらく歩けばテーブルが並んでいるスペースへとたどり着いた。
「ここが勉強スペースです。今日はここでやりましょうか。文献を持ってきます。少々お待ちください」
 窓の近くのテーブルを指し示してウィルはその場を離れた。おずおずと座って辺りを見渡せば窓の外に目が入った。
「わ…………」
 綺麗な夜空だった。レグヌス王国の夜空とは確かに様子が違い、赤色の月が煌々と光り輝いていたが、赤色の月と深い紺の空が反対色でありながら綺麗な光景になっていた。
「……空、綺麗でしょう」
 本をテーブルに置きながらウィルがそう呟いた。
「…………あ、はい……!」
「ここは窓が大きいですからね。……貴方はまだ遠慮してるというか、お客様……供物、でしたっけ。そんな態度ですからね。綺麗なものを見せるのもいいかと思いました」
「あ、ありがとう、ございます…………!」
 嬉しそうに目をキラキラさせながらウィルの方を見やったサルサに対して、慈しむような顔を見せたあとに一つ咳払いをした。
「さて、そろそろ始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします……!」

1/5/2025, 9:38:10 AM

(昨日分の小説も合わせてあげさせていただきます)
お題「日の出」
 サルサは至極貧乏な家の出であった。
 そもそもレグヌス王国というのは、別にきちんと仕事をしていれば安定した生活が送れるレベルの国ではあったが、サルサの父親はギャンブルに手を出してしまっていた。そして、彼には運がないに等しかったのだ。サルサが稼いできたお金も父親が稼いだお金もほぼ全てギャンブルへと注ぎ込まれ、全てが意味の無い紙切れへと変わる。借金をしていないのが唯一の救いという具合だった。
 そんな家で生まれ育ったサルサは少しでも多くお金を手に入れるため早朝から、早い時は日の出前に仕事へと行くことが多かった。そのため、早起きが得意だったのだ。
 やはり魔界に来てからも同じ生活を身体が覚えてしまっており、彼は五時に目を覚ました。
 部屋にはトイレと洗面台がついている。「風呂のみ大浴場で済ませてくださいね」とウィルが言っていたのを思い出しながら、サルサは洗面台で顔をゆすいだ。
 大きく息を吐いてから制服に袖を通す。やはり緊張するようでもたもたとしていればあっという間に六時を過ぎていた。
 レグヌス王国ではもう間もなく日の出の時間であり、同じ時を刻んでる魔界も同じであろうと何気なく窓を見やったサルサは息を飲んだ。赤い月が空に昇っている光景を見たからである。
 小さくノック音がしたあと、少しの間を開けてウィルが顔を出す。
「おはようございます、サルサさん。…………今日はちゃんと用意された制服に着替えていますね。学習ができない方ではないようで安心いたしました」
「お、おはようございます。ウィルさん、空が…………」
 ハワハワとした様子で、挨拶もそこそこに訴えかけたサルサに対して、ウィルは柔らかく微笑みながら言った。
「……あぁ。初めて見る光景であれば驚かれることになりますか」
「あれはなんですか。月……ではありませんよね」
「月ですよ。『赤い月』です」
「いや、だって…………月は、夜にだけ……」
「それは人間界の常識でしょう? こことは勝手が違うんですよ。こちらでは『赤い月』と『青い月』が存在します。貴方の知ってる月は『青い月』の方だと思いますよ」
 ウィルはサルサの顔を真っ直ぐと見やった。困惑に満ちている彼の顔をしばらく見た後、胸ポケットから懐中時計を取り出して、確認しながら口を開いた。
「今日は昨日言ったように城内案内をいたします。広いので日は分けますが、出発は早い方がいいんですが」
「す、すみません……!」
「いいえ。咎めてはおりません。ただ、そうですね。そんなにいちいち驚かれるとなると、若干のやりづらさは感じてしまうかもいたしませんね」
「ふ、不快にならないように精一杯つとめます!」
 ウィルは腰を折り曲げてお辞儀をしたサルサに対して、冷ややかな視線を送った末にため息をついた。まるで、そんな態度は求めてない、とでも言いたげである。
「…………まぁ、いいです。行きますよ」
 ウィルは扉を開いて外に出ていく。サルサも慌てて後を追うことにした。
 窓の外では赤い月がちょうど全部顔を出したところであった。
――――――――――――――――――――――――
お題「幸せとは」
「ここ、最上階のエレベーターホールから右側に向かうと、貴方が一番最初に訪れたデウス様のお部屋です。入ることは一般的にはございません。左側に向かうと執務室と呼ばれる場所です。こちらは主に上官の方たちが務めていらっしゃる場所です。アリア様やプロム様が働いてるところと言えば貴方にとっては分かりやすいでしょうか」
 昨日に引き続き、ウィルはサルサのために城の案内をしていた。昨日の案内は主に生活に必要な、食堂や大浴場等の施設の場所に加えて、ウィルがよく顔を合わせてる仲間の紹介であったが、今日は一転して立場が偉い人たちが住んでいる場所なんかの説明であった。そのため、サルサは少し前からずっと、目をグルグルと回していた。
「…………疲れましたか?」
「あ、え、い、いいえ! まだ、というか全然平気です!」
「そのようには見えません。一旦休憩しましょうか。エレベーターで一個下の階に向かいますね」
 ちょうど良いタイミングで来たエレベーターにウィルが先に乗り込み、サルサもそれについて行く。沢山並んでいるボタンの上の液晶に手の甲をかざしてからウィルはボタンを押した。その様子を見ていたサルサが恐る恐る尋ねる。
「…………エレベーターを乗る時、いつも何をしていらっしゃるのですか……?」
「……なにを、というのは、もしかして甲をかざしていることですか?」
「は、はい…………」
 『チンッ』という軽い音と共にエレベーターの扉が開く。
「……後で教えます」
 ウィルはそう言って微笑みながらエレベーターを降りた。
 最上階はデウスがいることもあってか、荘厳な雰囲気であり、物音一つ聞こえはしなかったが、たった一階降りただけのこのフロアは騒がしい声で賑わっていた。
「ここは、主に休憩所や数少ない娯楽施設があるところです。本来は城外にしかないのですが、ごく限られた一部の施設のみ、城内でも運営しております。とはいえ、貴方は入ることは出来ないのですが。今日の目当てはこちらです」
 エレベーターホール前の少し狭めの通路を抜ければ、テーブルと椅子が行儀よく並べられたスペースへと抜けた。談笑する者たちで賑わっているそこは人間界のカフェか何かとほぼ変わらなかった。違うのは彼らに角が生えていることだけである。
「こちらへ」
 ウィルが手で指し示したのはそんなスペースの一番端の席だった。サルサがキョロキョロと辺りを見回しながら席につけば、ウィルも座っていた他の者たちに向かって軽く一礼をしてから席についた。
「ここは休憩スペースと呼ばれています。特に許可無くどんな者も、どんな用途でも使用できます。サルサさんも何かありましたらここへ」
「…………は、はい……」
「それから、エレベーターの中で尋ねられました事についてですが、身分証のようなものが甲に掘られています」
 そう言いながらサルサに向かって右手の甲を差し出した。黒い紋章のようなものがしっかりと刻み込まれている。
「どんな役目についてるか一目で分かるようになっています。今の私は貴方の教育係ですのでそこそこの高さにいます。貴方はないです」
「…………入れる時痛そうですね」
「若干の痛みはありますが、そこまででも…………。でも、貴方はまだ心配することではありません」
「…………一年間、入れられないからですか……?」
「一年間では無いです。そこは、流石に。でもしばらくはない話です。エレベーターも使えないので基本的に部屋まで私が迎えに行く形になります。…………さて、少し休憩でもしましょうか」
 ウィルは軽く息をついて咳払いをした後に言った。
「…………世間話として、何かネタはありますか?」
「…………え、ね、ネタ……ですか」
「はい。貴方が私と話したい話をどうぞ」
「話したい話…………」
 サルサは困ったような顔で思案した後、おずおずと口を開いた。
「ウィルさんにとっての『幸せ』ってなんでしょうか……」
「…………幸せ、ですか」
「すみません、変な質問をしてしまって!」
「いいえ。面白いと思いますよ。暇つぶしにはこれくらい定義として難しいものの方がいいでしょう」
 サルサが真っ青な顔で謝罪をしたのを肯定しながらウィルは微笑んだ。
「そうですね、幸せ……。私はやはりデウス様のために動いてる時が幸せではありますけども」
「…………すみません、ボクなんかのためにその時間を割かせてしまって……」
「すぐに謝罪が出ますね、貴方は。……貴方の教育係をするのはデウス様に命じられたからなので、これもデウス様のために動いてるのと同義ではありますよ」
「なる、ほど……」
 納得のいかないような様子で、だがしかし反対するのもおこがましいといった感じで言葉を紡いだサルサに向かってウィルは問いかけた。
「貴方は?」
「ボクの、幸せは…………」
 サルサは口をつぐんでしまった。
 分からない、わけではないけれど、果たしてそれがちゃんとした幸せなのか全く検討もつかなかったからだ。
「……わかりませんか?」
「…………難しいです。幸せを、感じたことはあまりなくて」
 その言葉に驚いたように目を見開いたウィルは、やがて柔らかい笑みを見せながら言った。
「………………じゃあ、ここで見つけましょうか。貴方の、幸せ」
「…………ボクの、幸せを……?」
「ええ、ここで一年間は過ごすのですから、きっと一回くらいは貴方が幸せだと感じる時も来ると思いますよ」
「そ、そうですかね……!」
 嬉しそうに笑ったサルサに対してホッとしたように息をついたウィルは、懐中時計を見やってから立ち上がった。
「そろそろ行きましょうか。いい具合に休憩もできた頃でしょうし」
「は、はい!」
 サルサも勢いよく立ち上がりながら返事をする。その顔は来た時よりもほんの少しだけ晴れやかであった。

1/3/2025, 4:48:49 AM

 サルサが目を覚ませば知らない場所だった。
 起き上がっても知らない景色しか見えず、彼は勢いよく立ち上がったところで、供物としての務めを果たすために魔界にやって来たことを思い出した。
 供物としてやって来たからには、何かの儀式に使われたり、食物として食べられるとサルサは考えていたが、実際にデウスから言われたのは教育係をつけた上で仲間にしてやる、なんて申し出だった。
 一晩経った今でも全く状況が飲み込めず、一つ深呼吸をしたところで、ドアがノックされた。
 慌てて扉を開こうとノブに手をかけようとした時に扉が外に向かって開き、一人の青年が顔を出した。
 紺色の髪に金色の瞳をした青年は、今まで魔界でサルサが会った者たちとは異なり角が生えていなかった。
「…………お、おはようございます」
「もうお昼ですよ。…………出直しますから支度が出来たらドアを開けてください」
 青年はそう言って扉を閉めようとしたが、サルサが小さく呟いたことで動きを止めた。
「…………し、支度……?」
「…………支度は支度ですが……。あそこに用意されてる服に着替えてくださいね。……まさか、そんな品のない格好で城を歩き回る気じゃないでしょう」
 物腰は柔らかく、だがしかし少しだけ冷たく青年が言ったのに対して若干首を傾げながらサルサは口を開く。
「…………ボクは供物なので、あそこに掛けられているような立派な服は着られません…………」
「……デウス様は貴方のことを仲間として受け入れようとしているんですよ。貴方がその格好のまま城内を歩いてしまったら、デウス様のご尊顔に泥を塗る羽目になります。どうぞ、着替えてくださいね」
 話は以上とばかりの雰囲気で青年は扉を閉めて、サルサは恐る恐る用意された服に着替えることにした。
 黒いベストとシャツに、黒いハーフパンツと白いタイツ。一緒に置いてある靴も黒い革靴だった。全てシンプルなものではあるものの、使われている生地は上等なものであり、縫製もとても丁寧にされていた。それもそのはず、城のイメージを崩さぬように城内で皆が着ている、いわゆる制服のような物は全てオーダーメイドのものであった。なので、サルサが袖を通せば、寸分の長さも違わずにピッタリとフィットした。
 全ての服を身につけたサルサは大きく息をついてから扉を開いた。
「お、終わりましたが…………」
「……ピッタリですね」
「…………こんなに高級そうなお洋服をボクが身につけていいのでしょうか……」
「高級そうも何も、全員が身につけるものですよ。…………流石に私と貴方では服の形は異なりますが……」
 青年は小さく微笑んでから、サルサの手を取って言った。
「……改めまして、私の名前はウィルと申します。今日から一年間、貴方の教育係として任命されました。よろしくお願いしますね、サルサさん」
「……よ、よろしくお願いします…………。い、一年間ですか…………」
「はい、一年間です。とりあえず、という話ですが」
「とりあえず……?」
「一年後まで使えるようになってもらわないと困る、ということみたいです。来年にはまた貴方のように供物として一人捧げられてしまいますから。それまてまに、と言った話でしょうか」
「一年間………」
「なので、貴方の今年の抱負はこの城の常識を覚えて、少なくとも城の常勤勤務の方ぐらいにはなる、といった感じになります」
「わ、わかりました…………」
 サルサは噛み締めるようにそう言った。
 一年間。長いようで短いような時間。その間に供物、ではなく城の職員にならなくてはならないというのは、サルサにとって到底達成できそうもないように感じられていたが、ともかく頑張るしか無かったのだ。
「今日は顔合わせとだけなっています。城内案内なんかはまた明日に回させていただきますね」
「…………な、なんで、ですか……」
「沢山詰め込みすぎても良くないですし、今日は一日、私と一緒にお部屋で過ごしてください。昨日は寝る前にここに案内されただけでしょうからね」
 ウィルはそう言いながら微笑んだ。

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