「たまには雨が降ってほしいものだね」
演奏者くんが空を見上げながらそういった。
「雨⋯⋯?」
「雨、知らないかい?」
「いやさすがに⋯⋯」
「じゃあなんでそんな反応を⋯⋯?」
「ほら、雨ってやな事ばっかだから」
ボクがそうぼやくと彼は笑った。
「確かに『人間』にとっては雨というものはけして心地いいものとは言えない。でもね、他のものにとってはそんなことはないんだよ」
「例えば?」
「最たる例は植物だろ。手作業で水をかけるのもいいかもしれないがやはり限度がある。やはり広範囲にかかる雨の方が有難いんだよ」
「ふーん」
「興味無さそうだね」
降らない雨の話をして興味がある方がおかしいんじゃない? なんて言わずにボクは曖昧に微笑んだ。
「梅雨はね、いいよ」
「なんで」
「雨が沢山降る、夏の準備をする⋯⋯⋯⋯いい事だらけだ」
「そんなに言うなら人間界に住んだら?」
「あはは、冗談だよ」
「何が?」
彼は答えなかった。
明るく笑った彼はなんだか晴天というよりも、雲から覗いた一筋の光をもたらすそんな時の太陽のような顔をしていた。
権力者のことを見ていると、時々小鳥のようだなと思ったりする。
無垢で何も知らない純粋な子、そんなふうに見えてくるのだ。
敵対してる相手に向かってそんな感情を抱くこと自体おかしいが仕方ない。
そもそも僕は彼女のことが好きなのだ。
そして、無垢な彼女を自分の手で汚してしまいたいなんて思っている。元天使とは思えないような発言ではあるが。
僕は堕天使で、人間まがいで、彼女もこの世界の権力者なら悪魔で、だから相性はいいんじゃないかな、なんて。
だからちょっとずつちょっとずつ僕のことを信用させて、僕のことばかり考えるようにさせて、そこで何らかの方法で『権力者』という立場であることを難しくさせて、誰も頼れなくさせてそこで僕が手を差し伸べれば、あっという間に僕のものになる。
だからそれまで僕は好青年を演じようか。
人生は旅なんて言葉が下界にはあるらしい。まぁ実際僕は人ではなく、なんならそもそも『人生』を歩んでるかどうかすら不明。まぁ要するにわりと謎な存在なのだ。
だがこのユートピアでの生活も旅の一種かもしれない。彼女を僕の方まで堕ちてもらって、一緒に遠くまで逃げてしまいたい。そこまでの時はすべて結果に至るまでの『旅路』であったと言えるだろう。
僕はそんな旅路を終わらぬものにはしたくない。逃げるまでの道のりは必ず絶対に終わらせなきゃいけない。
僕らの旅路はそこからが本番。幸せになるための旅路がそこから始まる。そこはきっと終わらない、いや「終わらせたくない」。
きっかけは些細なことだった。
僕がうっかり花を踏んでしまって、彼女が仕返しにグランドピアノをしっちゃかめっちゃかに弾いた。
明らかに僕が悪いこともわかってる。
彼女は確かに僕が大事にしてるピアノに触れたのだ。それは確かに許せないことでもある。でも、僕がしたことは取り返しのつかないことで。花は折れたら戻らない。
そんなわけで僕が謝らないといけないのだが肝心の彼女が見つからない。
いつもいる場所を色々と探索してみても全く見つからない。
どうしようか、どうすればいいのだろうか。
見つからないなら話にならない。
気分転換に花畑に来たら、闇に包まれた向こう側から彼女がやってきた。
「⋯⋯⋯⋯あ」
「⋯⋯なんだ、演奏者くんじゃん」
微妙に嘲笑うような声で彼女は言った。
「あのさ、ごめん」
「ん? 何が?」
「花だよ、その潰しちゃったから」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯あぁ」
なんだ、そのことか。なんて続きそうな感じで彼女は言ってのける。
「⋯⋯ボクもごめんね」
「何が」
「⋯⋯⋯⋯もう、会えないかもだから」
彼女はそう言って闇の中に戻って行った。
意味がわからないなんて思って追いかけて闇に触れたとこで壁にぶつかったような感触がした。
確かにこの先に入って行ったのに、僕はそこから拒絶されて。
⋯⋯⋯⋯何が起こってるか僕は全く分からなかった。
「あれ、きみ服変えたかい?」
今まで長袖の白色のシャツに黒色のベストを着ていた彼女が、今日は半袖の白色のシャツに黒いベストを着ていた。
「ん、うん」
「なんで急に」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんか」
理由に全くなってない。もはや僕に教える気はなさそうだ。関係ないでしょ、とか言ってきそうだ。
「というかボクが何着てても関係ないよね」
言ってきた。なんと言動の予測しやすいことよ。⋯⋯じゃなくて。
「なんか、こう、きみと僕は今まで対みたいな服装をしてただろう? だから僕も半袖きた方がいいのかな⋯⋯とか」
「なんで?」
「いや今説明しただろう」
「対になるならなおさら長袖のまんまでよくない? なんでわざわざ袖だけ合わせんの? お揃いにしたいだけじゃない?」
口調が強い。怒って⋯⋯⋯⋯るのかもしれない。原因は不明。
まぁこういう時は黙っておくに限る。
「⋯⋯⋯⋯似合ってるよ」
そう言って去ろうとすると「ありがと」と小さい声が返ってきた。