夫婦
赤の他人が契約を組んで
一つの家に住み、家庭を持ち未来へと繋ぐ。
それは同じ国籍にあらずとも成立する
年齢が同一でなくても成立する
性別すら、関係ないときもある
さらにいえば、人間じゃなくても番という言葉を使うなら
動物だってある。
さて夫婦とはどんなものだ。
独り身にとって縁遠い話だが
身近な夫婦なら知っている
言わずとしれた両親だ。
年の差夫婦で流行りも考え方もてんで違う2人である。
だがありがたい事に仲が良い
意味も分からないことで怒鳴りあってみたり
子供みたいなことでキャッキャとはしゃいでたり
同じ趣味を持つことが仲良しの秘訣なのか
大概のことはいっしょに楽しんでいる
テニスをしたり釣りに行ったり旅行に出かけたり
晩酌をしながら相撲や野球、オリンピックを見たり
はたまた職種まで同じだ。
だが買い物だけは決して一緒にしない。
金額もサイズもいつ着ていくのか考えなしに買う父と
値段、サイズ、フィット感、組み合わせ、色、
TPOを完璧に考慮する母
ケンカになるのは目に見えてるが、
必要なものはで他人任せにする姿勢には、問題がある。
時々お互いの考え方や言葉の汲み取り方で
不平や不満を唱えても
案外危機が訪れると一致団結する
もちろん、決裂することもある
だが、私の知る夫婦は 結束が硬い
明らかに違いのある二人なのに目的が同じでブレがないゆえ
まるで
漫画に出てくるライバルの二人が一時休戦し
共闘するような向き合い方をする
見てくれは老夫婦だが
いつまでも
共闘するライバルであってほしい
どうしたらいいんだろう
絶対に避けられない選択
なのに決断できない状況
理由は多種多様
例えば、友人同士の三角形の矢印。
矢印は停止せずに回り続けてる。
自分の意思だけで決断しても解決できない危機
他者の厄介事
こじれた関係
蚊帳の外にいて見守るしかないとき。
助けられないには力がないから。立ち止まるしかない。
物理的な問題。
その場にいないから。
自分のことは自分で決めれない時もある。
その決断を好ましい、好ましくない。
ふさわしい、不適切。
その判断材料が揃わないことだけに留まらず
枝分かれしていく、
”もし”の分岐点に足がすくむ。
過去の
つかみ損ねた結果を辿った決断に
脳の記録が、その声を再生する。自分の声で再生する
さまざまな迷路、道はありすぎて分岐すら見えないから
決められない
宝物
それは多分、弱点であり、活力でもある
自分だけのもののときもあるが
そうでないこともあり
不滅のものでもあるが
永遠でもない。
自分の中だけに留まるときもあれば
外に飛び出てしまうことだってある
いつまでもそばにあるもの
いつの間にか忘れてしまうもの
そして自分の軸にあるもの
キャンドルというと真っ先に出てくるのは
クリスマスだ
ただ人生、一度もクリスマスにキャンドルを灯したことはない。
高級レストランで揺らぐキャンドルとも縁遠い。
どちらかといえば、危ないから早く消せ
それに尽きる。
キャンドルの思い出がたりといえば、
以前安物のアロマキャンドルにハマって買っていたことだろうか。
安物と言っても個人的には三百円代のそれは、お高いものだった。
火をつけても、わずかに香りがするかしないかのレベルで
香りを楽しむというよりただ、明かりを楽しむものだった。
危なくないように、選ばれたのは浴室だった。
それ専用のお皿に風呂の明かりを消して
ぼんやりとその光のゆらめきを、眺めるだけだ。
うっすらと暗い光で
昔の人は、これよりもずっと暗い光で物を読み、思いを馳せたのだと
考える。
知識に食らいつき、思いを巡らせ、
世界を回した。
この世界は便利だ。この世界は明るい。
カッコつけながら自分に酔いしれる晩を繰り返し。
ソレが終わったのは突然だ。
キャンドルを乗せた皿を不注意で落とし割ってしまった。
落とした先は、
洗濯機の中。
まだ洗濯物未のもので先ほど家人たちが脱ぎ散らかした
下着や靴下や服の中心に、皿が粉々になっていた。
必死に一つ一つ下着の中やら靴下を確認しながら
二度とキャンドルをしないことを心に決め
残したキャンドルは非常用にした出来事は
もう十年以上も前の話だ
生きてりゃぁいろんなことがある
だけど
想い出というものになると
どれだけのものが残ってるだろう
何か強く感じたことがそれではなく
どちらかといえば、
淡く優しく
本当に何気ないものだったりする。
鮮明で
自分の身に起きた経験の中でも、
思い出すと笑ってしまったり
優しさのあまり泣き出してしまいたくなる
ソレが想い出だろう。
それらに強い感情は送付されず
もし、負の感情が呼び起こされたら
記憶の中の落とし穴の悲しさを埋めるものだ。
たくさん想い出は
生きてきた時間に比例せず
同時に、そんなにないと
思っても案外想像以上の量であることも
想い出だ