宝物
それは多分、弱点であり、活力でもある
自分だけのもののときもあるが
そうでないこともあり
不滅のものでもあるが
永遠でもない。
自分の中だけに留まるときもあれば
外に飛び出てしまうことだってある
いつまでもそばにあるもの
いつの間にか忘れてしまうもの
そして自分の軸にあるもの
キャンドルというと真っ先に出てくるのは
クリスマスだ
ただ人生、一度もクリスマスにキャンドルを灯したことはない。
高級レストランで揺らぐキャンドルとも縁遠い。
どちらかといえば、危ないから早く消せ
それに尽きる。
キャンドルの思い出がたりといえば、
以前安物のアロマキャンドルにハマって買っていたことだろうか。
安物と言っても個人的には三百円代のそれは、お高いものだった。
火をつけても、わずかに香りがするかしないかのレベルで
香りを楽しむというよりただ、明かりを楽しむものだった。
危なくないように、選ばれたのは浴室だった。
それ専用のお皿に風呂の明かりを消して
ぼんやりとその光のゆらめきを、眺めるだけだ。
うっすらと暗い光で
昔の人は、これよりもずっと暗い光で物を読み、思いを馳せたのだと
考える。
知識に食らいつき、思いを巡らせ、
世界を回した。
この世界は便利だ。この世界は明るい。
カッコつけながら自分に酔いしれる晩を繰り返し。
ソレが終わったのは突然だ。
キャンドルを乗せた皿を不注意で落とし割ってしまった。
落とした先は、
洗濯機の中。
まだ洗濯物未のもので先ほど家人たちが脱ぎ散らかした
下着や靴下や服の中心に、皿が粉々になっていた。
必死に一つ一つ下着の中やら靴下を確認しながら
二度とキャンドルをしないことを心に決め
残したキャンドルは非常用にした出来事は
もう十年以上も前の話だ
生きてりゃぁいろんなことがある
だけど
想い出というものになると
どれだけのものが残ってるだろう
何か強く感じたことがそれではなく
どちらかといえば、
淡く優しく
本当に何気ないものだったりする。
鮮明で
自分の身に起きた経験の中でも、
思い出すと笑ってしまったり
優しさのあまり泣き出してしまいたくなる
ソレが想い出だろう。
それらに強い感情は送付されず
もし、負の感情が呼び起こされたら
記憶の中の落とし穴の悲しさを埋めるものだ。
たくさん想い出は
生きてきた時間に比例せず
同時に、そんなにないと
思っても案外想像以上の量であることも
想い出だ
冬になったら
家の住人も私もは暖房器具を良しとしないので
家でもコートを着る時期が来る。
こーとを着たまま調理をする。
息が白いまま、凍えながら料理をする
食事が終わってもコートはそのままだ
後片付けをしたあとはすぐにジャージに着替えて
ランニングに行く
一杯走って
二時間ほど走って
体が温まったら家に帰ってお風呂を掃除して
風呂に入る
一番風呂ならすぐに出る。
2番目風呂でもすぐに出る
一番最後ならお湯はぬるいからなかなかでれない
寒さを実感したら冬だがすぐさま
春が恋しくなる
冬もおしゃれは出来ない
とにかく寒いから、走りに行く
冬が来たら
春を探しに 走りに行く
はなればなれ
十日後、入院する
二十二日間、病院生活だ
コロナ禍前の時代と違って随分病院のシステムが変わったようだ。
全身麻酔で付き添いが必要だったのは何年前までのことだろう。
入院しおりを渡されて
医療事務の方ではなく、看護師さんから
最低限の説明だけを
テンポよく、愛想よく、
事務的に行われる。
いくつか質問してみた。
嘘はつかないが、ほんとのことも言わない。
入院中はきっとまわりはソレばかりだろう。
何か起こってから責任転嫁のリレーだったらいやだな…
みんな生きるためで、仕事だ、仕方がないが
やるせない
みんな仕事をすれば家族と離れ離れだし
わたしは入院したら家族と離れ離れだ
入院を送り出してくれる家族は何を思ってるだろう
せいせいしたとか?
面倒だなぁとか?
目の前の入院準備でごった返した部屋を見ながら
これからの事を考えるとうんざりだ。
大好きな猫とも離れ離れ、抱きついてみたら
溶けるように脱出された…
君がいないと私は生きていけないのに
ひどい…
しばらく君を抱っこできなくなるのに