幼い頃、母にねだって買ってもらった三角形のプリズムは、今でも枕元にときどき虹色の影を落とす。
本体は無色透明であるというのに、不思議なものだ。どこまで近づいても虹にふもとがないように、虹色というのはいつも無色透明なものから発せられているのかもしれない。
もしもその説が合っているのならば、常に無色透明な空気に包まれている私たちは、いつも無自覚に虹のふもとにいるのかもしれない。そう思えば、ありきたりな日常でもなんだかちょっとだけ特別なような、ちょっとだけ大事にしたくなっちゃうような、そんな気分になる。
なんか知らんけど幸せやったな。みたいな日々がずっと続いちゃえばいい。さて、明日はなにを頑張っちゃおうかしら。
: 色とりどり
雪が降った後の車のフロントガラスは汚い。
「当たり前だ」とか「どうでもいいな」とか思う人が大半だとは思うが、私はそれがなかなか面白いなと思うのだ。
私の住む地方にはあまり雪が降らない。年に一二回パラパラとは降るが、滅多に積もらないのだ。だから、雪は私にとって、結構ワクワクする現象だった。
小さいころは雪だるまと一緒にアイスクリームをつくる絵本が大好きだったから、雪を食べてみたい!と無邪気に思っていた。そう、雪は綺麗なものだと信じて疑わなかったのだ。というか、結構大きくなるまで思っていたし、なんなら今でもちょっとだけ思っている。
けれど、雪が降った後の車のフロントガラスは汚い。どうしようもなく汚い。油をぶっかけたみたいにドロドロしてるし、ワイパーも動きがもたもたする。
雪は綺麗じゃない!それが結構私には衝撃だった。なんで人間は白ければ綺麗だと思ってしまうのだろうか。無邪気に雪空に口を向けていたあの頃の自分に「やめなさい」と諭してくれた大人の気持ちが今ならわかるぞ。
ああ、雪は綺麗だと信じきっていたかったような、雪を本格的に食い出す前に知れてよかったような、不思議な気持ちである。
: 雪
大学在学中に外国にいけ、というのが三原っち先生の教え。できれば四カ国以上が望ましいそうだ。四カ国というととんでもなく多く感じてしまうけれど、世界の国々は大半が陸続きだからそんなに難しいことじゃないらしい。
そのことを母に話したら「一緒に行こうや」だと。
いやいや、その頃には私にも恋人とかおるかもしれんし…友達といくかもだし…と渋っていたのだけれど、
「旅行費だしたげる」だって。それはなかなか魅力的だね。
:君と一緒に
小学生の頃、鉄棒が好きだった。
ただの固く黒い棒にどうしてあんなにも夢中だったのか今ではもう思い出せないけれど、鉄棒にぶら下がりながらよく空を見ていたことは覚えている。
冬晴れのどこまでも高い空は吸い込まれていくような魅力がある一方で、一旦吸い込まれてしまえばもう地面に戻ってこれないような恐ろしさがあった。校庭にペタリと寝転びながら空をじっと見つめているときは、重力が徐々に逆転していっているかのような感覚を不安に思ったものだ。
それでも、鉄棒にしがみついている間は安心して冬晴れの空に魅入ることができた。地面に深く突き刺さってびくともしない鉄棒は、掴もうと思ってもサラサラと逃げていってしまう校庭よりも幾分か心強い。命綱をつけてバンジージャンプに臨もうとしているときのような、気になっている子に話しかけるタイミングを探っているときのような、そんなスリルを感じていた気がする。
今でも同じ気持ちになるのだろうか、それともまた違う発見があるのだろうか。
今度また、公園に行ってみるのもいいかもしれない。
: 冬晴れ
昨晩、レタスしゃぶしゃぶというものをした。レタスをさっとお湯にくぐらせてゴマだれやポン酢につけて食べるもので、お手軽でとても美味しい食べ方だ。さすが農家さんに教わった食べ方なだけはある。
新しいレシピが人生に一つ追加された幸せ。あなたにもお裾分けできればもっと幸せ。
: 幸せ