春・夏・秋・冬
なつかしい原風景は、
それぞれに、あるけど
匂いまで蘇るのは、
秋 だけです。
遠くで、枯れ草を燃しているわ。
子供の頃、焼き芋をホイルで焼いたっけ。
木の実拾いに興じたためか、
枯れ葉を踏む、
音も、香りも、
記憶の奥から、顔を出します。
影踏み、ひぐらし、茜空
ついつい、童謡を口ずさむ、
夕暮れ時。
やさしい気持ちにさせてくれるだけの
素敵な記憶が、
この季節には、
そこかしこで、かくれんぼしてます。
ここ最近は、
特にわたしの中の
しあわせハードルが
引き下げられた気がします
いい天気に恵まれたこと
素敵な本に出会えたこと
美味しいものを口にできたこと
朝の目覚めが良かった日
嬉しいひとことを掛けられた日
何事もなかった1日
灯火灯す着火材は
案外、ささいなところに
転がっているみたいです。
最初は、
小説のような作品集を夢見てました。
今振り返ると
いつも、いつでも、
脚色付きの人生を送っていた気がします。
母が亡くなって
遺品整理をしていた時
母の家計簿を初めて目にしました。
日記も兼ねていた様です。
人それぞれの日常、出来事
どんな小説にも勝る、走り書き
唯一無二のストーリーに喉の奥が熱くなりました。
今夜も、
私が、わたしになれる
眠りにつく前の、わずかなひと時
2年日記に向かい合って
その日の出来事を書き記します。
飾らずに。
ありのままに。。
これからも、
誰の目にも触れることのない、
唯一無二のストーリーを書き記します。
贅沢の仕方を、
わたしは知らない。
旅行も、外食も、買い物も、
計画を立ててる時間が好き。
でも、
結局、いつも、
実行に移すことなく、
毎回、妄想で終わるのだけれど。。。
節約が一番の目的ではなく、
たぶん、自分の中で、
しあわせのハードルあげないように
しているんだと思う。
誰かが、言ってたわ。
すべての事には平均作用があるんだって。
だから、
自分のしあわせを超えるしあわせを得たら、
いつか、帳尻が合うに決まってる。
たとえ、
それが、どんなに些細なことでも。。
だから、贅沢しないことは、
わたしにとって、当たり前の事なの。
さしたる趣味のない
わたしにとって、
ぶらぶらと街を散策するのは、
唯一の気晴らしです。
でも、ここ数年で
好んで立ち寄るところが変わってきました。
おしゃれなお店や、
大きな商業施設を見て回るのが、
疲れてきたのです。
かわって、
昔からの個人店や、商店街
あと、
町医者に、かかりつけ医を探すのも好き。
わたしなりのお気に入りが増え、
わたしの中の街の行灯、
1件1件に火を灯していくのが、
最近、新しいところに引っ越す
楽しみのひとつに、なっています。