学生の頃、技術科で
「なぜ人は遊園地に行くのか」という、
それはもう技術ではなく哲学だろ!!とクラス全員でツッコミを入れた課題があった。
俺は「ジェットコースターに乗りたいから」と書いてC評価をもらい、じゃあなんだよ!!とまたツッコミを入れた。
それから十数年経った今、俺は遊園地にいる。
1番にジェットコースターに乗った。
酔った。
なるほど、これは絶対「ジェットコースターに乗りたいから」なんて書いたらC評価をもらう。だって乗れないんだから。
ならばなぜ遊園地に来るんだ?
そのとき、近くのアトラクションに乗る人々の悲鳴が聞こえた。
あ、これか。
日常生活では体感できない乗り物などの動きを通じて、非日常のスリルを楽しみたいということか。
よし、決まった。
明日からの授業のテーマはこれだ。
なんて思った、技術科教師の休日の昼下がり。
#体感しないとわからない魅力
翼が折れた。
もう私は飛べない。
元々自力で飛べたわけではないが、
飛べないとなると悔しい。
いや、折れたのではない、折られたのだ。
同じ場所で育った仲間らと憎んできた忌々しいが可愛いあの生物に。
某有名おもちゃメーカーから発売される
ミニカーのうち、私達ヘリコプターは、赤子によって大体の機体の羽を折られる。
#奴らは羽を折るが可愛い
血痕とチョークで何かを描いた跡だけが残る閑静な住宅街の公園。
さっきまで警察がいたというのに、そんな雰囲気はほぼない。
バラバラになった人がいます。
という通報で警察が来たらしいが、通報者はおろか、その人すら見つからなかった。
現場に残っていたのは地面を赤く染める誰かの血と束になった長い髪の毛のみ。
警察が提示したのはそんな断片的な情報だけだけど、僕の脳裏には一つの光景が焼きついている。
泣き叫ぶ女性の髪を引っ張ってハサミで切って、全身をナイフで何度も何度も刺し、その女性が絶命する前にノコギリで四肢を切り落とした女の姿。
そしてその女は今、僕の前に立っている。
昨日と同じ刃物をちらつかせながら。
あれー、貴方昨日もここにいたよねー?
お巡りさんには私のこと話さなかった?
そっかそっかー。ありがとうね。
でも目撃者は目撃者ってことなんで、ね?
閑静な住宅街で、男の叫び声が響いた。
#記憶と同じ殺人犯
怪我をした。全治二カ月。
体育の授業中、後頭部に硬式のバレーボールが直撃したことによる頸椎捻挫(むち打ち)で、しかも当たったのは野球部の男子が打ったスパイク。
かなりの重症である。
というわけで、ソーラン節を踊るはずだった学校祭とありとあらゆるスポーツを行う体育祭は不参加。
しかも週一回の通院が必須。
うわ、地獄。
ただ、私は運がまあまあよかった。
怪我をしている時点で不運でしかないが、私が大嫌いな病院に行った後は、母が必ず某ハンバーガー店の超美味しいポテト(Sサイズ)を買ってくれる。
これなら、まだ通院も苦ではない。
というわけで、今日も私は超美味しいポテトを求めて病院に向かう。
#痛いボールと美味いポテト
鏡の中にいる私は、
鏡を眺める私と同一人物である。
当たり前だ。
だけど、それを当たり前だと思えなくなるときが時々ある。
鏡の中の自分が想像より可愛くないように見えることとか、メイクバッチリの状態とすっぴんの状態の差が凄すぎることとかが同一人物に見えなくなる理由ではない(たぶん)。
ただ、私の知らない“私”が、鏡の中にはいるような気がしてならないときがある。
でも、私が違和感を覚える“私”の姿が他人から見た私なのだろう。
そんなことを思いながら今日も鏡を見る。
うん、今日は違和感を覚えない日だ。
#鏡と客観視