あなたがいたから
私は新しい人生を歩んだ。
病弱で、痩せっぽっちで、何のいいところもないから人生悲観していたけれど、
あなたが結婚したい
って言ってくれたから結婚できた。
病弱だったから子供は難しいって言われたけれど、
早くに結婚して授かって、どうにかこうにか産む事ができた。
お金ないし、健康でもない私にも人並みの生活させてもらえた。
ワンオペ育児とお金ないから病院に行けないのコンボで逞しくなれた。
あなたに傷つけられて、今も病院通いだけど逞しくなれたしどうって事ないって思えるの。
あなたがいなかったら、こんなに逞しくなれなかった。
あなたがいたから、今より不幸な事はないって思えるの
あなたがいなかったら弱い私のままだったかもね
あなたがいたから、強くなれたのね
あなたがいなかったら、どんな人生だったろうか?
あなたがいたから、私、あなたが嫌いって感情を知りました。
1年前
今日と何も変わらない。
だけど。子供の背が伸びて、私と夫はその分老けて。
良い一日であるように
望んでもそうならないたった一日。
1年前に癒しを与えてくれたペットは
今日はいない。
天国へ旅立って半年
来年には慣れるだろうか?
何もかもを忘れてしまうのはいつになるだろう。
生や死が別れじゃなくて
記憶がなくなってしまえば
私が消えたとなるように。
今、生きた証拠をどれだけ捨てても
私と違う人間な子供を捨てられないのが
目下の悩み。
高く高く
全部なくなった。
家も家族も友人も。
お金もなにもかも。
どこで間違えたのかなぁ。
親の言う通り、小中高と女子校で、大学もそれなりな学校に入って、腰掛けで就職して、親の持ってきた見合いで結婚した。
順風満帆だと思ったのになぁ。
結婚して3年目に男の子を出産して両家とも初孫フィーバーとはこのことかってくらいに可愛がってくれて私も嬉しかった。
夫は仕事で忙しいらしかったから、両家から手伝いをしてもらえて私はなんて幸せなんだろうって思ってた。
息子も両家両親になついていたし、みんな笑顔で幸せだった。
夫はそれが辛かったって。
朝早くから仕事に行き、息子が寝たあとに帰宅する夫に息子は人見知りするようになった。
一時的なものだしって夫以外、あまり気にもしなかったけれど、夫はそうじゃなかったみたい。
夫はこっそり新しい彼女。不倫相手と恋愛を楽しんでいたみたい。
しかも、彼女が子供を産んだ。男の子。
DNAの鑑定までして立証した。
夫の両親は今まで溺愛していた息子と私に申し訳ないと過分なお金を差し出して離婚して欲しいと。
私の両親は、息子を独り占めできると喜んだ。
人って、みんな自分都合なんだなって感じて、私は?って考えたら、私、なんにもない。
親が、喜ぶように過ごして、みんなが幸せならそれでいいって考えで。
私の意思ってないなって気がついた。
息子を実家に置いて1人当てもなく電車やバスに適当に乗り込んで、適当な名前で泊まれるホテルに泊まって、また移動して。
場所がバレたら嫌だな。って程度に持ち合わせた現金だけで動いていたら、当たり前だけどすぐにお金はなくなった。
カード使って家に戻る?
友達に助けてもらう?
また、元通りになるような気がして、怖くて動けなくなった。
じっとバス停で何本もバスを見送りボーっとしたり考えたり。
なんとなく高いところから地上を見てみたいと思って、近くのビルの最上階に上がった。
飛び降りようなんて気はサラサラなくて、私がいた場所はどんなとこ?って子供じみた感じで見てみたいだけ。
住んでた家は、あぁあの辺かってわかるくらいに、意外に近かった。
逃げようと思ってもこんなもんか。
そっか。そんなもんか。
って思って、家に帰るのもなぁって思って、久しぶりに公衆電話を使って幼馴染に電話した。
事情を話して助けてもらえないか。それが無理でもしばらく留守にした両親との相仲をとってもらえないかとお願いするつもりで。
幼馴染に電話したらすぐに出てくれた。
でも、思いもよらない事になっていた。
私を探しに両親と息子が乗った車が、事故にあい、亡くなっていた。
急いで実家に帰ったら親族から罵詈雑言。
私…そんなに悪い事したのかな?
みんなが言うならそうなのかも。
しかも、義理の実家に張り合って、外車を買ったり、孫部屋を作ったりしていたのは親族からの借金だったみたいで。
葬儀代程度の保険しか入ってなかった両親と、まだ保険に入ってなかった息子。
私を私立の学校に通わせるために貯金がまともにできてなかったみたい。
私は親族たちに、義理両親からいただいた過分な慰謝料を取り上げられた。
幼馴染には、生まれたばかりの可愛い子供を置いて一人旅なんて、事情があっても信じられないと絶縁された。
家はまさかの賃貸だった。
叔父の家に格安で住まわせて貰ってたって知った。
なーんにもなくなった。
今週中には出て行けという叔父に置き手紙。
『今までありがとうございました。家具家電の処分をお願いしてしまう事、心苦しく思っております。』
ちょっとコンビニに行く程度の荷物で家を出た。
必要なものって案外少ない。
空っぽの通知と印鑑。パスポートや保険証。
これから家のなくなる私には必要ないかもしれない。
とりあえずは。
どんなに高いところに行っても私の住んでいた町が見えないところに行こう。
どうやってとか何をしてなんてなんでもいい。
だからなるべく高く高く。
息子とは離れ難いから。
私が小学生の頃、おじいちゃんもおばあちゃんも家事が苦手だったんだと思う。
2人で商売して、2人で家事してたから、専業主婦のいる家庭みたいにはなれなかったみたい。
とは言え、
朝ごはんはモーニング。
お昼は簡単に、うどん系麺類。
夜ご飯は外食か、簡単なもの。が定番。
洗濯はおばあちゃんが朝に干して、夕方取り込んで。
掃除は手の空いた方が…
ってなると、掃除が等閑になるって言うか…
そんな、おじいちゃんとおばあちゃんのお手伝いができるのはお掃除程度だった私。
階段に埃を見つけたら拭き拭き。
掃除機がゴミでいっぱいになってたらポイする程度。
他にも出来ることはたくさんあったけど、面倒で、庭を見ながらゴロゴロするのが大好きだった。
この時期になると炬燵を出してもらって、暑いなぁ寒いなぁって炬燵でゴロゴロしながら、部屋の隅にある埃を見て見ぬ振りしてた。
ゴロゴロしている視線は窓なんだけど、カーテンがあってさ。
暑いなぁって思いながら窓開けたらカーテンは埃を吹き飛ばし、ふわふわっていうかブワッと舞い上がる。
炬燵上の湯呑みを吹っ飛ばしたりする。
手の届く範囲にある窓でもカーテンのせいで開けられない。
カーテンをタッセルに引っ掛けておけばいいって思うじゃん?
タッセルがどこ行ったかわからないのが、じーちゃんばーちゃん家あるあるだと思うの。
悲しい、辛い、しんどい
で、泣いていた頃が嘘みたいに泣かなくなった。
泣けなくなったのかもしれない。
泣いても解決しないってわかったからなのか。
泣いても誰も助けてくれない年齢になったからなのか。
歳を取ると、感動して涙もろくなるってきいて、
それを待っている。
泣きたいし、涙が出るほど心動かされたい。
悲しい、辛い、しんどいでもいい。
嬉しい、楽しいみたいな良い涙でもいい。
そんな私は更年期って言われる年齢。
能面で過ごした結婚生活。
能面な育児。
ココロからワラエナイ。
子供達が巣立つまで、自分の人生も感情も捨てた。
浮気相手と極上の笑顔で写真を撮る夫。
反抗期なのか家庭環境なのか、怒鳴る、無視する、都合の良く私を使う子供。
怒鳴り声は聞こえない振りしていたら、大音量の騒音ってしか認識できなくなった。
耳が悪いと家族に思われてるけど、心配はされない。
それならほっといてほしい。
病院に行って治療しないからだと文句を言われ、検査に行けば無駄遣いと言われる。
どうやっても、生きてるだけで怒られる。
反論する気はない。
結婚、出産みたいな人生を左右するような出来事に、周りの助言を聞かずに進んだのも私。
夫を浮気させたのも私のせいらしい。
子供が家でお利口さんにしないのも私のせいらしい。
成長期の子供にご飯を食べさせるべく出費が増えたのも私のせい。オカズ減らして米増やさないのは知恵が足りない私のせい。
家族の誰かが風邪をひいても私のせい。
朝ごはんが好みじゃなくて調子が良くなかったのも私のせい。
私は精神科に入院した。
夫から、保険がおりるから入院してくれてた方がお金かからなくて助かるって言われた。
子供から、ご飯ない。部屋汚い。パパが怒鳴るから早く退院してって言われた。
涙なんて出ない。
理由がないから。