自暴自棄。
味方なんて誰もいない。
大好きで結婚した夫。
夫と一緒にいるために必要ならば、夫の実家の近くに住んで、夫が家業の手伝いの為に貧乏になってもいいと思った。
結婚してすぐに、夫の周りは長男帰還万歳とばかりに囃し立て、夫はこれも付き合いだからと飲み歩く日々。
私は親族知人のいない土地、ひとりぼっち。
大好きだった夫は、私を家政婦のように扱い、大好きじゃなくなった。
地元の友達、付き合い、会社のイベント…
アレコレ忙しいらしく、ほとんど帰ってこない。
数分、数時間は毎日帰宅するのが困る。
夫が着替えるために、シャツはアイロンかけておかなきゃならないし、お弁当、夜ご飯、朝ごはん、いつ食べて食べないかわからない食事も用意しとかないと、専業主婦のくせにってオブラートに包んで嫌味。
田舎の初任給とやらに下がった夫の収入は、結婚前の三分の一。
私は、化粧品も下着も買えない。服は30センチも違う夫のお下がり。
もう、こんな生活やめようと電車に乗った。
実家に帰ったら、両親に迷惑かかるから…と、遠方に住む祖父母の家へ。
新幹線に乗り換えて、ぼんやりしていたら、祖父母のいる県についた。
電車を降りて、改札へ向かう途中、『年老いた祖父母に甘えていいのか?』と、疑問に思った。
そう思ったら、改札を出るのが怖くなった。
我慢するしかない。自分の選んだ人と結婚し、ついていったのも自分。
夫が私を幸せにしてくれるなんてバカみたいに期待したのも自分。
大人になったんだから、両親や祖父母に甘えちゃダメだって思って、元来た道を戻る列車に乗り込んだ。
日本を半周、元来て一周。
1日がかりの家出は、夫は気がつかないだろう。
列車から夕陽が見える。
黄昏れ。
田園風景は黄金色に輝く稲。
秋を感じる。
私は、
誰そ彼。
大好きな夫は別人になった。
そう思って生活してみようと決意した。
ずっと仲良しな友達が、ある日を境に仲良しじゃなくなった。
みんながドッチボールしていて「仲間入れてー」って言うと、「もうやめるからー」
とか。
みんなと一緒に帰ってたのに、「あ、忘れ物ー」ってみんなで学校戻って行って、1人で帰る事になったり。
些細な事。
たまには1人で過ごす休み時間、1人で帰る帰り道も悪くなかった。
いつものメンバーとは違う友達と仲良くなったり、新しい発見があったり。
避けられてるなって自覚はあったけど、『いじめ』って言えるほどのことじゃないと、僕は思った。
今になって思えば『いじめ』なんじゃない?って思ったりするけど、小学生だったあの頃は些細な事って思っていた。
今、考えたらイジメられてるって思いたくなかったのかもしれない。
中学になって、たまたま同じ運動部に入って、友達から仲間って感じになった。
チームメイト。勝つ為の仲間。学校って言う巨大な組織の中の一部で、同じ目標に向かって走る仲間。
過去の出来事はなかったかのよう。
僕は誰にも話した事なかった。
話す気もなかった。
ある日、家族で夕飯を食べている時、僕の小学校の話しになって、僕はその時の嫌な感情が蘇った。
家族に「昼休みにボッチにされたりもしたよ」って程度にサラッと軽く話をした。
家族は「その時の、あなたは大変な思いをしたね。」と。あと、「今は辛くない?」と聞いた。
今、仲間になった友達とは嫌な感情は不思議となくて、ただ、あの時、なぜハブられたのかはわからないままが気持ち悪い感じはするけど、それ以外は信頼できる友達でチームメイト。
だから、「今は大丈夫」って答えた。
『今は』って答えた時に、あぁ、あの子とは生涯の友達とか仲間って思ってないんだなって。
いつか、進路とかで別れる時が来たら、なんで小学生の時にハブられたのか聞いてみようと思う。
今はその時じゃないだけ。
今、理由を聞いても平気だし何も変わらないと思うけど、それは僕だけで相手は違うかもしれないから。
別れ際に、もうお互いが必要なくなったら聞いてみよう。
春夏秋冬
日本だけのもの!みたいに思っていたけど、そういう些細な季節の移り変わりを大事にしてきた民族性なだけっぽい。
春は芽吹、始まり。
夏は煌々、真っ盛り。
秋はコツコツ、貯め込み。
冬は我慢、終わりと始まり。
みたいな感じ?
春と秋の違いは色くらいしか表現できなくて、
春はビビットカラーに白を混ぜたような。
秋はもっと曖昧でビビットカラーに白黒を混ぜたような。
最近はアースカラーって言うみたい。
地球は秋か。
ジャングルジムの一番てっぺんに、最初にタッチした人の言う事をきく事
なんてルールで遊んでた子供時代。
だいたいが、一番になる事に一生懸命で、運良く最初にタッチできたら、それからみんなに何させよう?って考えた。
そうすると、次のゲームの采配によってやらされる限度が左右されたり、友達関係の崩れる原因にもなるから、大抵は、「三回回ってワンって言う」程度の罰ゲームになる。
そうなると面白い刺激もなく、何度かやったらすぐに別の遊びに移行する。
たまに悪知恵の働く輩が入れば、怪我人が出るか過酷な罰ゲームでほとんどの人がその遊びをやめる。
ジャングルジムは、世の中の縮図みたい。
一番を目指してズルをせず、最初にタッチしたら、みんなが嫌がる事はしないし、かと言ってそれだけでは満足できなくなる。
悪知恵の働く人が最初にタッチしたら、世の中から総スカンをくらう。
かと言って、2番の人には何も権限がない。
だから、徒党を組んで、一番になる人を祭り上げる。
一番になった人は徒党を組んだ仲間の言いなりになるしかない。
危ない、怪我する。だから無くすって感じで見なくなったジャングルジムは、世の縮図を学ぶ格好の道具だったのに、最近見ない…。
怪我の経験もなく、危険や、嫌な思いや、やり過ぎちゃってごめんねって感情。
そもそも、1人でジャングルジムに登ったってつまらないって学ばないのって、もったいないなぁって思う。
ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるさい。
何を話してるのかまでは聞こえない。
耳栓してるし。
ベッドホンの時もあるけど。
でも、鳴り止まない声?音?
どうしたら静かになる?
遠くの田舎なら静かに暮らせるだろうか?
安眠の為に、とりあえず一泊で寂れた旅館に行く。
あぁ、喧騒もなく、木の葉の揺れる音、水音だけ。
理想的な環境だ。
夜はゆっくり眠れるだろう。
そう思ったが、薄暗くなると、町民放送?って言うなんかわからない時報が大音量で流れて、心臓が飛び出るほどびっくりした。
そのあとは、農作業か何かから帰ってきたらしき人達の酒盛りの声がする。
やっと静かになったかと思えば虫の声。
もう、この世には静かな場所なんてないと思った。
人の声が嫌い。
そんな自分は人として生きていくには無理だろう。
歳をとり、人以外の鳥の声、虫の声までうるさいと感じて、表現しきれない程の嫌悪感を感じる。
防音室で生活しよう。
都内に戻り、なるべく小さな家を買い、完全防音の部屋も作った。
若い頃は音に対する敏感さは収入になった。
今ではお金の価値とは何だ?と捻くれた考えしかなく無駄に金ばかりある。金は音を立てず静かにして役立つ。
この防音室で安心を得て、辛かった若い頃の自分を慰める。
もう、生活のほとんどがこの防音室でいるようになったある晩、久しぶりに『うるさい』と思って目が覚めた。
防音室に一人きり。
無音のはず。
耳を澄ませる。
何か聞こえる。
一定のリズム。
部屋のどこかに隙間ができたか探しても見当たらない。
部屋の真ん中にあぐらを組んで座る。
耳を澄ます。
一定のリズムは自分の鼓動だ。
そうか。声が苦手なんじゃない、生きてるって音が苦手なんだ。
なんだか腑に落ちた。
『うるさい』と感じてベッドホンで聞いたクラシックは電子化されたものだった。
風に吹かれる木の葉の音。は心地よかった。
年齢とともに敏感さすら頑固になり続け、ついには自分の心音すら『うるさい』と思うようになってしまったのか。
ずっと生き辛かった。
静かを求めた。
静かさなんか、生きてる間中、訪れない。
心を無にして部屋を出る。
聞こえる音はスッスッと床を擦る自分の足音と、少し早くなった自分の鼓動。
キッチンについて、ガチャガチャと手当たり次第に探す。
目的の物が見つかるまでガチャガチャとなる扉や食器の音を耳で聞く。
目当ての物が見つかった。
なるべく音がしないようにだけ気をつけて、自分の鼓動の発信源にアイスピックを入れていく。
これでやっと静かになる。
そういえば、僕の声はどんな声?