キラキラ輝くネオン街。
ちょっと前までは凄く嫌いだったのに、今は行きたくて仕方ない。
子供が産まれて四苦八苦しながら育てて、ようやく幼稚園。
周りに感化されて始めた娘のピアノ教室。
個人で教えてくれる先生に通う事になったはいいけど、レッスンの時間は18:00から。
終わりは19:00。
幼稚園が終わりお迎えに行き、公園遊びや家事をしてピアノの送り迎え。
先生のご自宅でレッスンを受ける為、車で通る道の間にネオン街がある。
始めた春の頃はまだお日様が残っていたけど、今は帰りは暗闇で、ネオンがキラキラ眩しい通りは夜が始まったばかりと活気付く。
子供が産まれる前は、気を遣いながら飲むお酒や、
呑んで酔っ払った上司に絡まれたりいい思い出はないけれど、行けないってなったら行きたくなる。
私、天邪鬼なだけかな?
可愛い我が子を家に置いて飲みに行こうなんてサラサラ思わないけれど、完璧な化粧、露出の多いドレスにハイヒールの煌びやかな若い子と、黒服らしき男性。
もう、足を踏み入れる事はないかもしれない、煌めく世界にまた行きたいなぁ。
あ、夫はたまに行ってるな。
あの煌びやかな若い子と私。
一緒にお酒を楽しむなら綺麗な女性がいいよね。
たまにはお化粧して「おかえり」って言ってみようかな。
生活感アリアリの家には似つかわしくないかな。
『おかえり』
「うん」
『ご飯まだだよね?』
「…」ジャケット脱ぎつつスマホ
『先にお風呂入る?』
「…食べる」
『じゃあ、温めるから手を洗って』
「…」手を洗って食卓テーブルにつく
『今日はね、ハンバーグだよー』
「…」
『デミグラスにしようかと思ったけど、和風醤油』
「…」
『だから、スープはお味噌汁なんだー』
「…」
テキパキと料理を並べる嫁
一緒に、いただきますをして食べたはず。
食べながら何か嫁が話していた気もする。
そのあと、嫁が風呂場で自殺するなんて思ってもいなかった。
嫁の腹の中には子供もいて
婦人科で撮って貰ったエコー写真は、嫁が死ぬ3週間前
教えてくれればよかったのに
些細な事でも
心の灯火なんてとうに消えたわ。
周りからはザマーミロって言われて当然。
最初の結婚はデキ婚。
若かったし、お互い好きじゃなかったからすぐ離婚。
元夫の両親が子供引き取ってくれたから、独身にもどれてラッキーだった。
何人かと恋愛したけど、本気になれなくて、遊び尽くした頃、社内で好きって思える人ができた。
凄く優しくて、いつも褒めてくれる。まさに理想の人。好きになった人がたまたま既婚者だったんだもん。
仕方なかったって思っていたのは、周りにバレるまで。
バレたらナンジャカンジャあって、会社はクビ。
両親からは絶縁。相手のお嫁さんからは慰謝料請求され、相手には『オマエノセイデ』って言われて殴られた。
その時がいくつだったかなぁ。
30歳は過ぎてた。
狭い業界でやり直す気にはならなくて、アルバイトしたりしてたけど、養育費が痛い。慰謝料が痛い。
バックレたりすればよかったけれど、私見た目は若くて美人ってより可愛い系?だから、夜の蝶になって、結構稼げたし、何より夜の世界は私には合っててホストにも貢げるようになって、推しをナンバー入させたくて体売るようになった頃には顔では隠しきれない年齢の問題あったからちょっと整形したりしたら、これまたハマって顔もいじりたくなって。
そうすると、本当にお金なくなって。
しかも若さもなくなって。
あー、もう終わりだなって。
もう、お金ないし、売るものないし、なーんにもない。
お先真っ暗って言っても助けてくれる人もいない。
生きながらにして死んだ方がマシな人生しか残ってないわな。
せめて自分が産んだ子に会いたいって思える人間ならよかったのかなぁ。
嫌な事ばかりで吐きそう。
ってか、夜になれば呑んで吐いて。
バカみたい。
嫌、バカなんだけど。
二日酔いの頭で出社。
今すぐお酒呑んで記憶飛ばしたい。
30前にして結婚に焦っていたのかもしれない。
新しい部署に浮かれていた感じもあったかもしれない。
新卒切符で入社したての男が、部署の弟みたいな、なんか世話を焼きたくなるような。みんなが気にかけてあげなきゃなんて思わせる母性本能くすぐる様なタイプだったから仕方ないじゃないか。
しかも、スポーツマンって感じでハキハキした色黒好青年。
そんな奴がさ、新歓のときに、『ずーっと彼女もいないんすよ』って、なんとも言いがたいキスの距離で言われたらさ…。
それからは言葉は交わさずともカレカノの関係だったと思う。『夜ご飯カレー』みたいなLineとかさ、『記念日だね』とかさ。
文字にしたら学生かよって言われるだろうけどさ。
30間近な女には効いたんよ。
『毎日食べたい』とか『明日、会社で普通に話せる自信ない』とか言われたらさぁ。
LINEで『結婚する事になりました』
ってきた時は、誰と?私?え?プロポーズ?
なんて思ってバカだった…
部署のメールで、そいつが同じ部署の女の子と結婚式をあげる為の日時と場所、出欠の有無の返信するように。ってのを見て、さ…。
次の日に来たLineに、
『ごめん』
だって。
未読のままにしてるし、一生開くもんかって思ってる。
結婚式には出席ってだしたから、せいぜいヒヤヒヤしとけってんだ!
僕の家族はおかしい。
って気がついたのはいつだったか覚えてない。
小学生だった気がする。
何が?って聞かれても答えられない違和感みたいなものを感じた。
やっぱりおかしいと思ったのは中学受験のあと。
中学受験に合格するまでは友達と遊ぶ事、ゲーム、漫画は一切禁止。スマホなんてもっての外だった。
何より、父のお説教は長いと六時間。正座して暗記ものを書きながら聞くのだ。
母は簡単で、小テストが満点じゃなければ、足りない分を平手打ち。
模試なんかだと、100点に足りない分は竹刀で殴られた。
学校のカラーテストが満点じゃなければ、母の気が済むまで掃除機やら扇風機、リモコン、フライパン、なんかを投げられて、避けたら馬乗りになってボッコボコにされた。
私立中学の友達と遊ぶ事は禁止されず、スマホも解禁に。
もちろん、成績が下がれば没収。
成績のいかんによっては父の説教と母の暴力が発動された。
しかも、友達とどんな会話してるかを確認するためにGPS、盗聴器、監視カメラのあるリビング。
コレが普通じゃなと教えてくれた友達に感謝しかない。
しかしながら、なんでこんな家庭になったのか、高校生になってわかった。大学受験が鍵になる。
母親の実家は貧しく、母が大学に行くには奨学金が必要だった。どうしても大学に行きたかった母はコレを勝ち取ったらしい。今とは奨学金を得る方法が違うらしく苦労したらしい。
父親は、ど田舎に暮らしていたが、勉強ができた。
神童扱いされたらしい。結果、第一志望の海外の大学にはいけなかったらしいが、日本で一番とされる大学の法学部に入学した。
夫婦の共通の目標は大学だった事。
僕は勉強が好きではなかったけれど、地方の国立の大学に通った。
田舎で長男という事もあり、まずまずの成果に両親は満足して、なんなら近所中に自慢してまわる始末だった。
流れが変わったのは、弟が僕よりちょっと偏差値の高い私学の医学部に入学したところ。
自慢の長男は格下げ。次男がいかに凄いかを近所に自慢しまくった。
年が二つしか変わらない次男は、塾に行かず、僕が勉強見つつ独学で医学部突破した事が自慢の種になった。
そして三男が日本最高峰の父と同じ大学に入学すると、僕も次男ももう、必要なし、どっか行けな扱いになった。可哀想な次男は、『金食い虫』と呼ばれるようになり、ただでさえ大変な大学の授業にプラスしてアルバイトをしなければならなくなった。
僕は、なんだかんだあれど長男。といういかにもな田舎思考な父から甘やかされてなのか、院に進んでも、「そうか」と一言だけ。興味はないが、学費は払ってくれたのでありがたい。
東京に進学した三男には両親が決めた住まいは好立地。家賃、生活プラスお小遣い。学費に教材費が必要とあらば湯水の如く金を出しまくっていた。
さて、その後。
僕は就職に海外を選んだ。
選べた事に感謝している。長男だからと引き止められるかと思ったが、大学のランクからみて僕は家庭内での大学レベルは底辺。いない者となった方がお互い都合が良かったんだろう。
次男、医者になったらしい。
と、いうのも国家試験合格の知らせを最後に連絡を取っていないから。
三男、憧れの東京で遊んで暮らし、大学に長いこと在籍して卒業の見込みはないらしい。
僕は家族の愛情ってのを感じられないま育って、今は独り身のんびり監視されない生活を謳歌している。
一度、家を離れたら二度と顔見たくないと思った両親。
弟達も同じだろうと勝手に思っている。
人間として不完全な僕は、自分に子供ができないように去勢までした。
両親の様な親になんてなりたくないし、あの両親の血は途絶えて欲しいからね。