てふてふ蝶々

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僕の家族はおかしい。
って気がついたのはいつだったか覚えてない。
小学生だった気がする。
何が?って聞かれても答えられない違和感みたいなものを感じた。
やっぱりおかしいと思ったのは中学受験のあと。
中学受験に合格するまでは友達と遊ぶ事、ゲーム、漫画は一切禁止。スマホなんてもっての外だった。
何より、父のお説教は長いと六時間。正座して暗記ものを書きながら聞くのだ。
母は簡単で、小テストが満点じゃなければ、足りない分を平手打ち。
模試なんかだと、100点に足りない分は竹刀で殴られた。
学校のカラーテストが満点じゃなければ、母の気が済むまで掃除機やら扇風機、リモコン、フライパン、なんかを投げられて、避けたら馬乗りになってボッコボコにされた。
私立中学の友達と遊ぶ事は禁止されず、スマホも解禁に。
もちろん、成績が下がれば没収。
成績のいかんによっては父の説教と母の暴力が発動された。
しかも、友達とどんな会話してるかを確認するためにGPS、盗聴器、監視カメラのあるリビング。
コレが普通じゃなと教えてくれた友達に感謝しかない。
しかしながら、なんでこんな家庭になったのか、高校生になってわかった。大学受験が鍵になる。
母親の実家は貧しく、母が大学に行くには奨学金が必要だった。どうしても大学に行きたかった母はコレを勝ち取ったらしい。今とは奨学金を得る方法が違うらしく苦労したらしい。
父親は、ど田舎に暮らしていたが、勉強ができた。
神童扱いされたらしい。結果、第一志望の海外の大学にはいけなかったらしいが、日本で一番とされる大学の法学部に入学した。
夫婦の共通の目標は大学だった事。
僕は勉強が好きではなかったけれど、地方の国立の大学に通った。
田舎で長男という事もあり、まずまずの成果に両親は満足して、なんなら近所中に自慢してまわる始末だった。
流れが変わったのは、弟が僕よりちょっと偏差値の高い私学の医学部に入学したところ。
自慢の長男は格下げ。次男がいかに凄いかを近所に自慢しまくった。
年が二つしか変わらない次男は、塾に行かず、僕が勉強見つつ独学で医学部突破した事が自慢の種になった。
そして三男が日本最高峰の父と同じ大学に入学すると、僕も次男ももう、必要なし、どっか行けな扱いになった。可哀想な次男は、『金食い虫』と呼ばれるようになり、ただでさえ大変な大学の授業にプラスしてアルバイトをしなければならなくなった。
僕は、なんだかんだあれど長男。といういかにもな田舎思考な父から甘やかされてなのか、院に進んでも、「そうか」と一言だけ。興味はないが、学費は払ってくれたのでありがたい。
東京に進学した三男には両親が決めた住まいは好立地。家賃、生活プラスお小遣い。学費に教材費が必要とあらば湯水の如く金を出しまくっていた。

さて、その後。
僕は就職に海外を選んだ。
選べた事に感謝している。長男だからと引き止められるかと思ったが、大学のランクからみて僕は家庭内での大学レベルは底辺。いない者となった方がお互い都合が良かったんだろう。
次男、医者になったらしい。
と、いうのも国家試験合格の知らせを最後に連絡を取っていないから。
三男、憧れの東京で遊んで暮らし、大学に長いこと在籍して卒業の見込みはないらしい。

僕は家族の愛情ってのを感じられないま育って、今は独り身のんびり監視されない生活を謳歌している。
一度、家を離れたら二度と顔見たくないと思った両親。
弟達も同じだろうと勝手に思っている。

人間として不完全な僕は、自分に子供ができないように去勢までした。
両親の様な親になんてなりたくないし、あの両親の血は途絶えて欲しいからね。

8/31/2023, 11:17:27 AM