僕は自転車で通学している。
片道で1時間くらいかかる。
電車だったら30分くらい?もっと早く着くかもしれない。
だから、凄く田舎ってわけじゃない。
通学の為に、乗りやすい高い値段の自転車を買ってもらったから、家が貧しいわけじゃない。
僕は、病気で電車や車に乗るのが苦手。
勉強も苦手。
だけど、1人の女の子に出会って、友達にはなれなくてもいいから同じ学校に行きたくて、必死で勉強して。今だって休み時間も、家に帰ってからも勉強してる。
進学校とは程遠い学校だけど、僕は奇跡的に合格して、なんならその女の子は同じクラス。
僕の人生捨てたもんじゃないって思った。
来年も同じクラスになれるかわからないけれど、留年して違う学年にならないようにずっと勉強してる。
でも、片道の1時間、イヤホンしながらなんて器用な事は僕にはできないから、ヘルメットして、安全運転。
事故をして、あの女の子と会えなくなるのは嫌だ。
あの女の子とは話したこともない。
僕はクラスメート。
根暗でバカなクラスメート。
それでもあの子と同じクラスに居られるなら、なんだって我慢できる。
暑い日も寒い日も風の日も雨の日も。
僕は毎日自転車に乗る。
僕が学校に行く途中、その女の子が駅から出てきた。
僕は気付いたけれど、彼女は僕の事なんて知らないだろうから、気が付かないふりをして横を通り過ぎた。
ちょうど、信号が赤になって、僕が止まった。
彼女が、隣に立った。
「ねぇ、学校サボらない?」
と彼女の声を初めて聞いた。
彼女を見れば、泣き腫らした目で、涙声。
「うん。いいよ。後ろに乗って」
って言った。
彼女が学校に行かないならば、僕も学校に行く意味はない。
金属でできた荷台に彼女はふわりと座って、僕のシャツを掴む。
「どこに連れてってくれる?」
って聞かれたから
「どこにでも。自転車でいいなら。」
って答えた。
自転車に乗ってどこまでも走り続けたいって思ったけど、言わなかったのは、まだまだ僕らは未成年でここに帰って来なきゃいけないから。
だから、彼女の気紛れでも、泣いた理由がわからなくても、交通違反でも。
彼女が僕のシャツを掴んでくれてる間はずっと自転車のペダルを漕ぎ続ける。
孤独はよくない。
1人でいると、良からぬ事を考える。
なるほど、確かに。
とは思えない。
夏休み、子供が常にいる。
塾だとかお稽古だとか、わずかに居ない時間に食材の買い出しに行ったりするもんだから、家にいる時間で1人の時間がない。暑さもあいまって、イライラすることが増える。
ほんの数年前までは24時間ベッタリ一緒に過ごしていた我が子でさえ、ずっと一緒はストレスになる。
早く夏休みが終わらないかなぁ。とさえ思う。
子供が巣立ったら寂しく思うかもしれないから、今を楽しむべきとは思うけれど、現実、やっぱり1人の時間が欲しい。
カフェでゆっくりとかじゃなくて、誰の目も気にせず、自宅でダラリとしたい。
心の健康のために。
君の奏でる音楽
楽譜通り。
作曲家の意思を詰め込まれた楽譜に敬意を払い弾く。
私の先生の教え。
だから、先生に習うからには、先生の意思も加算して、なるべく楽譜通りに弾く。
それでもやはり曖昧な表現もある。
そこに私の表現力を発揮する自由がある。
それすら先生と意見の合わない時もある。
その時は意見の交換をする。
その為には楽譜を作った作曲家。製本した楽譜を作った会社の意思まで鑑みなくてはならなくて、その数小節のための膨大な知識がいる。
技術が上がると自由度が増えて、大変な思いをする。
それこそが、自由の本質かもしれない。
年に一度、先生が開催する発表会がある。
それこそ、楽譜通りにキッチリキッチリ弾く練習。
でも、毎年、本番は私の好きなように弾く。
それを先生は
「一番良い演奏だったよ」
と、言ってくれる。
あまりに難曲を選曲して、実力不足を痛感した時も、そう言ってくれる。
私は最後の発表会の時、今まで弾きたくて弾きたくてたまらない曲を選んだ。
先生は、
「最後は弾きたいと思う曲を弾きなさい」
と、言ってくれた。
その曲は、私よりも随分年下の子が発表会で弾く事が多いような曲。
難易度は易しいに分類される。
どうしても弾いておきたかった曲。
人気な曲だから大体取り合いで、私も発表会で弾けなかった1人。
だからこそ、最後に悔いは残したくかかった。
発表会では楽譜通りに弾いた。
多分、今までの発表会で誰よりも上手に弾いた。
そして、もう一曲。
少し前に先生と練習しつつ、途中で挫折した曲。
先生には内緒にした。
発表会のプログラムには載せないで欲しいと頼んだ。
先生と練習したところまでは楽譜に従い、途中からアレンジも加えて好きなように、思うままに弾いた。
まるでジャズのような、ゴスペルのような気ままな曲になった。
クラシックの先生に歯を向けたような私の愚行。
全身全霊、汗だくになって弾いた。
私の全てを曝け出すように。
今まで先生から学んだ一滴も溢さずにだせるように。
私は今日限りでピアノのレッスンを受けなくなる。
ピアノというお稽古をやめる。
人前で弾く最後の曲だ。
弾き終わると、先生が舞台に上がってきてくれた。
本来なら私が下がってから、司会として出てくるのが常なのに。
先生は泣いていた。涙脆い先生だけど、礼儀を欠いてまで泣いてる。
先生は私にしか聞こえない声で
「ありがとう。今までで一番いい演奏だったよ」
そう言った。
後日、出来上がった発表会のCDが送られてきた。
先生から一筆
「僕を自由にしてくれたのは、君の奏でる音楽だったよ」
と、書いてあった。
きっと、先生は一度でいいから人前で思いっきり好きに弾いて見たかったに違いない。
僕は部活の最中に熱中症で大きな病院に運ばれた。
こんなヤワなはずじゃないのに、今年の暑さは異常。
部活中、水分も塩分も定期的にとってたはずなのに、情け無い。
その日は、点滴とかしてもらって、すぐに帰れたんだけど、どうにも眩暈が治らない。
だから、もう一度受診して検査してもらう事になった。
部活は休みたくないけれど仕方ない。
病院の中庭には日除になるような木々もあって、入院着の人や車椅子の人が夏の暑い中散歩してる。
その中で一際目立つ女の子。
多分、幼稚園くらい?
小さな体でワンピースにサンダル。お見舞いかな?と思う姿だけど、1人で庭の草を触ったり走ったりしている。
親の姿も見当たらないし、何より不自然な程、大きな麦わら帽子。
子供のソレなら、縁がクルンと外巻きになってリボンがついているのが普通。
その子の被る麦わら帽子は、大人用?と思うほど、ツバが大きくて、女優が被っているような帽子。
頭でっかちに見える少女は、行動も背格好も幼児のようだけど、麦わら帽子だけ不自然。
明るい外を見過ぎたのか、くらりと目眩がする。
順番を指す電光掲示板を見たり、忙しく動く看護婦さんらしき人を見たりして、目を室内に慣らす。
そうしていると、玄関からあの女の子が入ってきた。
ちょうど通路側に座っていたから顔が見えた。
女の子の顔は傷だらけだった。
刃物で切られたような、焼けてただれたような。
知ってか知らずか外を満喫してきたらしい女の子の口角は上がっている。
かわいそう。
そう思った。
それは自分じゃなくて良かったていう酷く哀れんだ感情で、僕の嫌いな言葉。
打ち消したいのに、他の言葉が見当たらない。
僕は下を向いて、自分はなんて嫌なやつなんだって思った。
それと同時に、最近、近所で母親と同棲中の男から虐待されて保護された女の子がいるってニュースを思い出した。
あの子かもしれないし、あの子じゃないかもしれない。
僕の目眩はいつ治るんだろう?って不安で来た病院。
目眩なんて大した事ないと思った。
彼女は自分の顔をどう思っているのだろうか?
いつか僕と同じくらいの年になったとき、彼氏はできるのだろうか?
保護されて良かった。ニュースの子なら。
生きて、今日、笑う事ができたんだからと自分を納得させる。
私が名前を書く時は、『.』をつける。
英語のピリオドみたいな感じ。
私の名前の画数は最悪らしい。
人生の旅半ばにして全てを失うって言われた。
それが、占い師だったり、姓名判断の本だったり…。
なんでそんな名前にしたんだ!
と、母に詰め寄ったら、
「産まれる前に決めてた名前があったんだけど、生まれたあなたの顔を見て、コレだ!って思っちゃったの」
と、ただの産後ハイで決まったらしい私の名前。
画数が悪いからで名前を変えるとかできないよねぇ?
どうしたもんかと考えていたら、戸籍は変えずに普段に名前を書く時に一画、減らすか増やすかしたらいいと聞いたから、簡単に点をつけるようにした。
知ってか知らずか、私の父も画数が同じ。
父、50代にして母と離婚し、私は母方についた。
父とは、しばらくは連絡をとっていたものの、父の故郷である、日本の隅っこにある島に帰ったと聞いてからはとんと連絡を取らなくなった。
だから、今の父の暮らしぶりはわからない。
全て失ったのか、家族を失っただけなのか。
私と同じ画数の父と、私は同じ人生を歩むのか。
名前の最後に点一つ付けただけで人生変わるもんか。
と思うし、
画数だけでなく、私は父の血を受け継いでるから似たような人生になる気がするし。
そもそも画数なんてアテにならないかも。
有象無象と考える。
そう言うのも何かの因果、私は熟年離婚を画策し、子供達が巣立ってからが私の人生の始まりって思ってる。
そうしたら、氏が変わるかもしれない。
人生丸ごとひっくり返るかもしれない。
全てを失うかもしれない。
人生の旅半ばに全てなくなっても、終点はどうかわからないじゃない?