ある日の昼下がり、君が突然訪ねてきた。
ベランダで鉢植えの剪定をしているとき、突然声をかけられた私は飛び上がりそうになった。
「ソラチャン。ゴハン!」
慌てて振り返ると、ベランダの手すりに君がいた。
空色の羽が可愛らしいセキセイインコだ。随分と人慣れしている上に喋っている。迷子鳥だろうか。
「…どうしたの?迷子になっちゃったの?」
言いながらそっと手を差し出すと、彼(彼女?)はちょこんと手に乗ってきた。
飼育されている鳥にとって、外の世界は非常に危険だと聞いたことがあった。
手から降りようとしないので、部屋に連れていく。
ネットで調べながら即席のシェルターを用意すると、警察と愛護センターに迷い鳥を保護していることを伝える。
また、SNSで迷い鳥を保護していることを発信する。
あとは飼い主さんがこの情報を見つけてくれることを祈りながら待つしかない。
小鳥の飼育経験がない私は、とりあえず動物病院に彼(彼女?)を連れていく。
健康状態を診てもらい、一時的な飼育に必要な道具や方法を聞く。
ケージにいれるとフードを食べてくれたので一安心する。
君が来てから、私の生活に彩りが添えられた。
ソラちゃん(最初に名乗っていたのでそう呼ぶことにした)がいる空間は、とても温かく感じられた。
一方で飼い主さんはどれだけ心配しているだろう。早くお迎えが来るといいな。
君と一緒の生活を幸せに感じる一方で、君が本当の家に帰れることを願っていた。
ある日、警察から電話があった。君の飼い主と思われる人が現れたらしい。
私は君を移動用のケージにいれて指定された交番へ向かった。交番の中では同い年くらいの女性が座っている。
女性は私に気づくと駆け寄ってきた。ケージに被せていた布を取ると「ソラちゃん!」と叫ぶと泣き崩れてしまった。君はしきりにケージの扉を開けようとしている。
間違いなく、君の本当の家族だ。
女性は何度も何度もお礼を言うと、君と一緒に帰っていった。
家に帰ると、とても静かに感じられた。
君のケージは空っぽだ。
君が本当の家族の元に帰れたことを喜ぶ一方で、君がいないことが無性に寂しかった。
後日、飼い主の女性が菓子折りを持って訪ねてきてくれた。
女性は丁寧にお礼を言うと、写真を私にくれた。
写真の中では、君がこちらを向いて首を傾げている。
もらった写真は写真立てにいれて、ケージを置いていた場所に飾っている。
君の幸せそうな姿は、いつも私を勇気づけてくれる。
私の趣味はランニングだ。晴れの日も雨の日も毎日欠かさず続けている。
ランニングコースの途中には墓地がある。人気のない場所だが、心を無にして走るのにはうってつけの場所だ。
ある雨の日のこと。
私は墓地に男性がいることに気がついた。彼は傘もささずに墓石の前に佇んでいる。
こんな時間に、傘もささないでお墓参り?
少し不思議に思いながらも、私は墓地の前を通りすぎていった。
次の日は昨日とはうってかわった快晴だった。
私はまた墓地の前を通る。今日はあの男性の姿はなかった。
それからしばらく、彼の姿を見ることはなかった。
私が再び彼を見かけたのは、また雨の降る日のことだった。
やはり彼は傘もささずに、墓石の前で佇んでいた。
気になった私は、墓地に入っていくと男性のもとへ向かう。
彼はずぶ濡れになりながらも墓石の前に立っていた。
40代くらいだろうか。体は引き締まっており、体格もいい。
「大丈夫ですか?」
私は声をかけた。
彼は少し驚いたようだったが「お気遣いありがとうございます」と丁寧に答えてくれた。
「以前の雨の日もお見かけしたので気になってしまって…。どうして雨の日にだけいらしてるんですか?」
初対面の人に対していきなり込み入った質問をしてしまったが、彼はやはり答えてくれた。
「ここには私の相棒が眠っているんです。雨の日に来れば、泣いても雨のせいだと自分を納得させられるんです」
それを聞いて、私はここが軍の人の墓地であることを思い出した。彼もきっと軍人なんだろう。
「悲しいなら、泣いてもいいんじゃないでしょうか」
私の言葉に彼は小さく首を横に振る。
「命を落としたのは相棒だけではありません。私の部下も敵兵も同じです。死を悼んで泣くなら、全員のために泣かなければなりません。しかし、彼は私にとってかけがえのない存在でした。だから『これは涙ではなく、雨だ』と言える雨の日にだけ会いにきているのです」
私はそれ以上、何もかける言葉が見つからなかった。
それからしばらく経った雨の日、私は彼の姿が見当たらないことに気づいた。
墓地へ入っていくと、彼がいつも立っていた墓石の近くに真新しい墓石が増えていることに気づいた。
私は雨の中、その墓石に向かって手を合わせた。
7月26日
来週は彼の誕生日だ。
どうしよう、もうあと1週間しかないのに、プレゼントが決まらない。
せっかくだし、彼の大好きなものを贈りたい。
でも、彼の大好きなものってなんだろう。
7月28日
いろいろお店を見て回るが、なかなか「これだ!」と思う品は見つからない。
お洒落なジッポライター?バイク好きの彼のためのキーホルダー?思いきって薩摩切子のペアグラス?
どれも素敵だったけど、イマイチしっくり来ない。
もう少し個性的なものというか、私しか贈れないものがいいな。
7月29日
友人に相談してみることにした。
もっと早く相談すればよかったのに、夢中になりすぎて全然思い付かなかった。
友人は「プレゼントもいいけど、手作りで好物を作ってあげたらどう?」と提案してくれた。
その手があったか!目から鱗だった。
でも、彼の好物か…。何でも好きだからなぁ。どうしたものかなぁ。
7月30日
彼が友人と手を繋いで歩いてるのを見た。
あんな幸せそうな笑顔、私には見せてくれたことがないのに。
8月2日
今日は彼の誕生日。正午、彼が私の家を訪ねてきた。
「君の手料理が食べられるなんて嬉しいなぁ。メニューは何?」
嬉しそうな彼に、私は笑顔で答えた
「特製のハンバーグだよ。材料にもこだわったんだよ。大好きでしょ?」
「やるせない気持ち」「やるせない」
よく使う言葉だが、正確にはどういう意味なんだろうと思い辞書を引いてみた。
「やるせない」は漢字では「遣る瀬ない」と書くそうだ。
意味は『憂い・悲しみを紛らわそうとしても、晴らしどころがない』とのこと。
(Oxford Languagesより)
晴らしどころのない憂いや悲しみ。
自分一人で抱えることしかできない憂いや悲しみ。
私が認識していたよりも、ずっと重い言葉だった。
何処にも吐き出すことができず、たった一人で抱える憂いや悲しみか。
そんな気持ちを抱いたことがあっただろうか?
……よく考えると、意外とたくさん思い当たることがある。その事にも驚かされた。
抑圧されていた憂いや悲しみたちは気づきもされず、ずっと放置されていた。
正にやるせない気持ちでいたことだろう。
貴方には、日々のなかで、抑圧してしまっている気持ちはないだろうか?
彼らがやるせない気持ちを抱いてしまう前に、どうか自分の気持ちにも目を向けて労ってあげてもらえたらと思う。
死んでしまった後、身体は土に還るだろう?なら、魂はどこに還るんだろうね。
地球で最初の生命は海で生まれたと言う。
だったら、魂は母なる海に還るのではないかと俺は思う。
だから、あいつの命日には、俺は花束を2つ買う。
ひとつは身体が眠る墓へ備え、もうひとつは魂が眠る海へ放る。
死後の人間の本質が身体にあるのか魂にあるのかわからない。
だから、両方に花を備える。
真っ白なユリの花束が波に呑まれて浮き沈みしていたが、やがて波間に消えていく。
それを見届けると、俺は手を合わせた。
どうかこの波が、花束に込めた想いをあいつの魂に届けてくれますように。