薄荷

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9/6/2024, 12:48:35 PM

3ヶ月程前の事。時を告げる目覚まし時計が壊れたので買い替えようと思ったものの、気に入るものがなくて。
あぁ、もういっそ、ピカチュウにでもしようか、ピカピカ言うし、と手に取ってはみたけれど....、結局何も買わずに帰ってきてしまいました。
で、それ以降、朝はスマホのアラームで起きているのですが、なんの問題もないので、もうこれでええか〜で今に至っています。


スマホのアラームのメロディーですか?
そらもう、推しの応援歌ですよ。


時を告げる応援歌。
なにそれカッコいい。



9/5/2024, 1:40:35 PM

世の中には貝殻と聞いて、海辺で拾ったホネガイとかサザエみたいな巻貝をそっと耳にあてて「波の音が聞こえる...」といったシチュエーションを思い浮かべる人と、アサリの酒蒸しを食べた後の貝殻を思い浮かべる人がいます。

私は後者です。
あまり貝料理は食べませんけどね。
嫌いではないので、例えば何人かで居酒屋へ行った時に誰かがアサリのバター焼きなどを頼めば一緒に食べたりはするけど、自分から率先して注文はしないかなぁ。
そもそも、貝料理って面倒くさくないですか?家で自分で作ろうなんて思ったことすらない。この面倒くさいを超えるほど貝が好きではない、ということですね。
なので、前者のようなファンタジーを思い浮かべても良さそうなんですが...なんかイメージが遠い。


そういえば子供の頃、海で貝殻を拾ったりした事はありました。なんかちっさいの。
お伽話に出てくるような、そっと耳にあてるタイプの貝殻が欲しかったんでしょう。
ああいう巻貝って、土産物屋では見た事あるけど、野良では見かけないよね。



というわけで今日の結論。
貝殻に抱くイメージが、ファンタジーから現実へと変わる頃、人は大人になるのです。



・・・

あ、今思い出したけど、亡くなった祖父は法螺貝持ってましたわ。もしかして山伏だったんでしょうか?



9/4/2024, 3:31:00 PM


推しのきらめき
牛のざわめき
星のそよめき




夏休みに野球観戦するとなると、暑いし天気の心配をしなくてもいいのでドーム球場が楽なんですが、今ぐらいの、秋の気配を感じる頃だとやっぱり屋外球場が趣深いと思います。

やっぱりね、空の下で野球を観ていたいんですよ、解放感とか高揚感とか。なんかお祭り気分で楽しくなる。

そして試合に勝った後は、ほろ酔いで応援バットを振り回し(危ない)応援歌を歌いながら、まだ帰りたくないけど、ぷらぷらと歩いていく。


その時に見える星が、世界で一番、煌いて見えるのです。




推しのときめき
星のひらめき
志高く 高く



9/3/2024, 4:46:11 PM

9月3日(火)

そんな些細なことで?というような事でも、見えてしまうと身構えてしまう。
ちょっとした視線の動きとか醸し出す雰囲気の違和感に気付いてしまった。
信用していたけど、この人、本当は味方ではないのかもしれないなんて思ってしまう。

気付いてしまうともう、後退りするしかなくなる。自分を守りたいから。
気にし過ぎだとよく言われる。
大人なのでそこから逃げはしないけど、大人なので必要以上に距離をとってやり過ごしている。

そんな感じで朝から鬱々していたら、つば九郎とドアラがananの表紙を飾るというニュースが飛び込んで来た。なんか楽しくなってきた。発売が楽しみだ。

そんな些細なことで?と思われそうだが、私はヤクルトファンでも中日ファンでもないけど、つば九郎とドアラの表紙&グラビアと言われたら買うしかないだろう。脱ぐんだろうか?あ、つば九郎は常に裸だった。

早速予約を...と思ったけど、予約分はどこも完売していた。また気分が落ち込んできた。
そんな些細なことで?と思われそうだが、だって発売日に本屋へ行くのは面倒くさい。
私は生粋の面倒くさがりなのだ。

あ〜もうやる気でんわ〜なんて言っていたら、クリスマスコフレの情報を教えてもらった。
「え、なにこれ、可愛すぎるやろ!コスメデコルテもエレガンスもアディクションも欲しいけど全部は無理や、ここは一旦冷静になってギリギリまでよく考えよう。わ〜テンション上がるわ〜」
そんな些細なことで?と思われそうだがこれは毎年の恒例行事なので仕方ない。この時期はクリスマスコフレのことを考えるだけでワクワクする。


こんな些細なことで?を繰り返してしんどい。その度に感情の振り幅が大きくて、なんかよく分からなくてさらにしんどい。
いやもう、ほんとに、なんかよく分からない。

  



________


それにしても、ホームランは全てを解決する。
ありがとうホームラン。
大正義ホームラン。
これで今日は眠れるし、寿命も伸びた気がする。

そんな些細なことで?と思われるかもしれないが、これは些細なことではない。
例えるならどデカい花火だ。




9/2/2024, 4:13:07 PM

「心の灯火」


中学3年生の頃。
担任のM先生は、学活や授業が予定より早く終わった時などを利用して、灰谷健次郎さんの「兎の眼」を1年かけて朗読してくれた。
中3で高校受験を控えているのだから、本当なら隙間時間も勉強しなさい、と言いそうなものだけど、読み聞かせをしてくれていたのだった。
どういう意図があったのかは分からないけど、その時間は苦痛ではなかったし、楽しかったし、何より先生の声は心地よかった。
後から思えば、受験勉強で荒んだ心を安定するとか、集中力を高めるとか、そういう効果はあったのかもしれない。


20歳の時、児童文学の講演会があって参加することになった。M先生とは卒業以来会う事はなかったけど、もしかしたら先生も来ているかも...と思っていたら、その期待は当たり、講演会の後にお会いする事ができた。
先生は私を見てにっこりと笑い、こう言った。


「あなたなら来ると思っていましたよ」


中3のあの時間は、未来への道しるべだったんだろう。

10代の頃は怖いもの知らずだった。でも段々とそういうのが通用しないと分かり始めた途端、周りが暗くなってよく見えなくて途方に暮れていたけど、先生の言葉は目の前に広がる道を明るく照らしてくれた。


変わり続ける世界の中で、変わらないものがある。
それに気がついた時、昨日よりはマシに生きる事ができるような気がした。



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