鳥のように羽ばたいて
自由に大空を飛んでみたい
だから神様
来世は私を鳥にして下さい
...とお願いしたとしよう。
だとしても多分、私はアヒルになると思う。
何故なら、ポケモンで一番好きなのがコダックだから。
コダックへの想いが強すぎるから。
・・・
(ここだけの話、鳥のようにというお題を見て、鷹と鴎と鷲と燕の薄い本みたいな事しか思い浮かばなくて頭を抱えている。なんか申し訳ない)
さよならを言う前に、言いたい事全部言えたり清算したり殴り合ったり何かしら準備ができて、そしてちゃんと「さよなら」って言えたら、その人への思いは昇華できるじゃないですか。
でも、何の準備も言葉もなく、いつのまにか会えなくなったとか突然消えてしまったとかだと、どうしたらいいですか?
時間が解決するのを待つしかないんですかね。
呪いの言葉でも吐いときゃよかったよ。
子どもの頃、家に帰ってから犬の散歩に行っていました。
少し遠くの小高いところにある池がお気に入りの場所でね、そこから見渡す景色は風の流れが見えるような、ちょっと秘密にしたい場所でもありました。
そこに毎日のように訪れてはぼんやりと遠くを眺めているうちに、季節によって空の高さが違うことや、夕焼けの色や形が毎日違うことや、移り行く空の色や音や匂いなどを知るようになったのです。
あの頃は、犬と一緒ならどこまででも歩いて行けるような気がしていたなぁ。
最近のガチャガチャで一番気に入っているのが、スプーン印の上白糖やグラニュー糖のミニチュアミラーなのです。
縦5cm×横3.8cmと小さくて可愛くてしかも実用品という、まるで走攻守三拍子揃った有能さ。このサイズがリップポーチ等に入れて持ち運ぶのにいい感じなんですよ。
そういえば昔、祖母が使っていた鏡台には布が掛けられていました。
実は子どもの頃、その鏡がちょっと怖かったんですよね。
その布は鏡を保護する為のカバーだったと思うんですけど、私はそこに何か隠されているんではないかと思ったりして。何か封印されているんじゃないか、夜中に何か出てきたらどうしようとか。
隠されているからこそ、その向こう側を何故か怖い方向に想像してしまう。多分、畏敬の念みたいなものを感じていたのでしょう。
まぁでも、鏡を覗くということは、深淵を覗くことに似ているのかもしれません。
「鏡は深淵に似ている」などと適当なことを言いつつ、今はその深淵っぽい鏡をガチャで手に入れ気軽に持っちゃうんですけどね。
(あ〜このお砂糖の鏡、もう一個欲しいわ)
「いつまでも捨てられないもの」って、これは捨てようと思ったことがある、捨てるか捨てんか審議にかけた事があるけど捨てられないもののことですよね。だとしたら今は思い浮かばないかなぁ。
私は定期的に「断捨離じゃあぁぁ!」と、断捨離祭りを開催しているのです。だからといって、ミニマリストのようなキレイでスッキリとしたお部屋に住んでいる訳ではありません。いつも雑然とした部屋からお送りしております。
その断捨離も明らかな不用品やゴミを捨てるといった段階は過ぎ、今は思い出やら思い入れやしがらみと向かい合って、捨てるか捨てんか審議をしている最中です。
思い出と冠するものは捨て難い。
でも回を重ねるごとに、前回は生き延びたというかすり抜けたものたちでも「...もうええか」と思うことがあります。
思い出も朽ちるんですよ。
そして、朽ちた思い出は捨てても平気なんですよ。
なので私は結構、思い出も捨てました。
今残っているものは、何かしら意味があるんですよ、多分。
とりあえず捨てられないものはないとしても、捨てないものならあります。
以前にも書きましたが、子どもの頃、犬を飼っていたんですね。
ある日、床に一本のヒゲが落ちていたんです。「え?ヒゲ?」と思いつつもそのヒゲを拾って適当にアルミホイルに包んで財布に入れたんですが、そのヒゲ、今も財布に入ってます。当然、何回か財布を買い替えてはいますが、その度にヒゲも入れ替えてきたのです。
猫のヒゲは縁起が良いと聞いた事があったような気もしますが、犬はどうなんでしょうね。
でも、縁起物だとか魔除けとかお守りとかじ
ゃなくてもいいんです。飼っていた犬のヒゲ
だから持っていたいんです。
だからこれは、捨てられないじゃなくて捨てないもの、絶対に捨てないもの。
なので私が死んだ時に棺桶に入れてもらえるとありがたい。
(こういう事って、エンディングノートに書いておくべきなんですよね?とりあえず臓器提供の意思表示カードにでも書いておくといいかも?)