今季は序盤から不振を極め、エラーをすればヤジられ、チャンスに凡退すれば罵声を浴びせられ、SNSでも叩かれ続け心苦しい毎日でしたが、それでも前を向いて試合に出続けている気高い姿を誇らしく思うし、またそれは、どんな時代になってもその姿を追いかけている私の自信でもあり誇りでもあります。
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そら皆んな、頑張る推しは誇りだよね。
推しのことは誇らしいと思う、じゃあ自分はどうなの?と考えていたけど強いて言うなら、私が通っていた高校は成績表が1、2学期は5段階評価で3学期は10段階評価だったんですが、高3の3学期の美術はなんと「10」だったんですよ、私。
だからと言って、それが活かせる仕事をしている訳ではないのですが。
挫折と屈辱を繰り返して繰り返して今に至っていて、もう全然絵を描いたりはしないけど、でもこの頃になって、また絵を描きたいなぁと漠然と思うことがあります。
そういう仕事をしたいとか、自分の作品を世に出したいとかは全く思ってはいなくて、趣味の範囲でひっそりと、また始めたいだけなんです。
今のままでは何も残せない。
だからもうちょっと、足掻いてみようかと。
こんなにも諦めが悪い自分を、少しは誇ってもいいのかな?
夜の海に落ちる夢を見た。
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水の流れに任せてゆらゆらと落ちていく。
私は泳げないタイプの魚なんだろう。
波打つ痛みが薄れていくような気もする。
遠ざかる光をぼんやりと眺めつつ、永遠に続くかのような暗い海の底に向かって落ちていった。
ただそれだけのこと。
夏の帽子といえば、麦わら帽子
夏の行事といえば、遠征旅行
...というわけで、只今遠征中なのです。
例え知らない土地や見知らぬ場所にいたとしても、心の中にいつも流れているのは、君の奏でる音楽だよと思いつつ、疲れたので今日はもう寝ます。
おやすみなさい。
私の前世は魚でした。
子どもの頃、海の底から空を眺めている夢を毎日のように見ていました。
きらきらとした太陽から降り注ぐ光を、ずっと眺めていたのです。
なので私の終点は、海。
例えば、また目玉焼きがうまく焼けなかったとか、キレイにお好み焼きがひっくり返せなかったとか、キャベツの千切りが太いとか、こういう事に対しての「上手くいかなくたっていい」は心が救われてほのぼのしますけど、「いやいや、コッチは生活が懸かっとるんや」という状況に対しての「上手くいかなくたっていい」は、救いの言葉ではないですよね。