天国が、どこにあるかは知らないが。
地獄なら、どこにでもある。
あの世に行くなぞ面倒な事をしなくとも。
己の地獄は、今ここに。
くたびれ果てた体に上着を羽織る。
鞄は鉛のように重い。
首と肩が死ぬほど凝り固まっている。いや背中も腰も。手も足も。
体は疲れに正直だ。
渇き切った目の奥の痛みを無視して空を見上げる。
23時過ぎの夜空。
鈍色の雲にぼやけた向こう側には月明かり。
やあ、お月さま。
労働はクソですね。
こんな時間まで働かなくても生きていけるようにならねえかなあ。
叶わぬ願いをぼやきながら、終電のホームを歩く。
雨音。
しずく。
流れ落ちる音。
硝子戸をつたう水の音を聞く。
水底に沈む夢を見る。
水面は遠く、手は届かない。
雨の雫を受けて揺らめいている。
雨が止むまで水面が静まることはないだろう。
ただ、別に止まなくても良いと、このまま沈んだままでも構わないとも思う。
わたしへ
人見知りで、臆病で、人が怖かった六歳のわたしへ。
怖いものがたくさんあったね。
他人も怖いし、家や学校の廊下の暗闇も怖いし、嫌いな食べ物も怖いし(今でもキノコは食べられないよ)。
夜、眠りにつくのも怖くて、寝入るまでに見える木の天井のシミの形も怖かったね。
怖くて、怖くて、眠れなくて、よく泣いていたっけ。
眠れない夜は、枕元にいる「友だち」を抱きしめているうちに、ようやく眠りにつくことができた。
「友だち」――犬のぬいぐるみ。
何十年も経って大人になったけど、今も「友だち」は一緒にいるよ。
これから先も、色々と怖いことは沢山あるけど、「友だち」が傍にいてくれるから、大丈夫だからね。
ちなみに、大人になった今の方が、少し生きやすくなったと思えているよ。
相変わらず、怖いものは多いけど。
私は無事に大人になっているからね。
ご飯をたくさん食べて、よく寝て、たくさん本を読んで、ここまで来てください。
大丈夫。
生きている限り、自分自身から逃れることはできない。
どこに行っても、何をしても、こうして言葉であれこれ考えている「私」は付いて回る。
それが苦しい時も、過去には確かにあったけれど。
居るんだから、しょうがないよなあ、と、いう気持ちになれただけでも、年をとってみて良かったと思う。