では、また。
黒のハット帽を脱いで軽くお辞儀をしたあの背中、私忘れません。
あんなに大きかったのに、
小さな白い箱に納められた春さん。
最期まで私のことを生徒としか見てませんでしたね
春さんと再会した時、私は既にバツイチでした。
春さん、いえ先生も既に奥様と離婚されてましたね。
私は先生の事をお慕いしてました。
先生もご存知だったのでしょう。
でも、一度たりとも一線を越えませんでしたね。
私に対して好意を寄せていたこと、なんとなく気づいてましたよ。
私の一つの希望は、あなたの最期の言葉です。
また、どこかでお会いしましょう。
私、また見つけてみせますわ。
だから、その際はお返事聞かせてくださいね。
入社して3年。
私には憧れの人がいた。
その人はいつも白い清潔なシャツを着こなし、手首にはどこかのブランドの時計をつけていた。通勤カバンもシックなデザインで無駄がない。
仕事も卒なくこなし、取引先からも評判が良かった。
新人歓迎会のあの日。
あの人は気軽に私に話しかけてくれた。
お酒のせいか良い香りがした。
その日、私とあの人は終電近くまで職場に残っていた。
新人のミスをあの人がかばい、そして残業。
人が良いにも程がある。
私とあの人はある程度仕事を終わらせ、駅までの道を並んで歩いた。
「月が綺麗だね」
あの人が呟いた。薬指がキラリと光った。
「…知ってますか。夏目漱石の言葉…」
小さく呟いた言葉をかき消すように「旦那さん、今日は早く帰れてよかったですね」と少し早口気味に言った。
彼女は、「たまには、俺に任せろ!って張り切ってたから残業できちゃった。旦那には感謝だね」と笑顔を見せた。
彼女と駅で別れたあと、空を眺めた。
確かに月が綺麗だな。ぼやけてよく見えないけれど綺麗だ
明日も彼女に会える。私はそれだけで充分幸せだ。
0から何が始められるだろうか。
0は無限だ。
きっとなんでもできる。自由だ。
しかし、制限のない自由は本当の自由なのか
制限があるからこそ自由は輝く
仕事や学校があるからこそ、休日の有り難みを感じるように。
同情という言葉は、どこか人をバカにしたような言い方に感じるときがある。
可哀想に。大変だね。と思いながら優越感に浸ってる所はないだろうか。
私はそこまでじゃない、と安心してはいないだろうか。
大抵の人は、そんなこと気にしたこともないと言い張る。
いや、言い張らなければいけない。
これも身を守るためだ。
自分はそんな酷い人間じゃないと思い込みたいのか、心の奥底に深く眠ってる棘棘した感情を表面化したくないのかはわからない。
また、本当に気付いていない場合もある。気付いていないのは、純粋無垢ということなのか。私はわからない
私は、心の奥底の醜い感情に浸り、内面から湧き出る喜びを抑えながら、眉を下げいかにも残念そうな顔をして口角がピクピクと痙攣するのを隠すように口元に手をやる姿は浅ましく汚らしい所作だと思っている。