1年後
1年後、俺は兵役の義務を果たすために国へ戻る。
国を守るという崇高な目標を掲げる部隊の末端組員として、日々散々な目に遭わされ続けるだろう。
想像にかたくない、目を背けたくなる未来像が、俺を待ち構えている。
理不尽に叱られたり、過酷な訓練で身体を壊したり、精神を病んだりするかもしれない。
それで傷つくこともあれば、トイレの個室にこもって、密かに涙する夜もきっとあるはずだ。
1年後の今日が、まさにそういう日になるかもしれない。
2025年の俺は、そこで何を考えているだろうか。
きっと家族の温もりと、日本で過ごしたささやかながらも輝かしい日々を思い返すことになるだろう。
朝一番に確認するスマホの日付が変わっているのを見るたびに、なんともいえない焦燥感に襲われる。
今の生活を手放したくない、日本を離れたくない。
どれだけ阻んだところで、それでも2025年は必ずやってくる。着実に、ゆっくりと。
差し迫る時間は、俺に与えられた猶予を徐々に減らしていく。
決して歩を緩めることなく、惨たらしいまでに無機質な顔をして、俺をこの世界から抹消してしまう。
だけど1年後の未来は、1年前の自分が承知の上で選んだ道で、もはや誰かのせいにすることもできない。
だからこそ、今日を大事にして、精一杯生きなきゃ。
1年後の自分へ、まだまだ先は遠いけど、なんとか踏ん張ってほしい。
2年後の自分へ、あと数ヶ月の徴用に、もう少しだけ耐えてほしい。
そして3年後、俺は必ず戻ってくる──今の自分とは見分けもつかないくらいめっきり成長を遂げて。
お題:子供の頃
子供の頃は、とにかくゲームに熱中していた。
従兄弟の兄に勧められたのがきっかけで、あらゆるオンラインゲームに手を出すようになった。
ゲームをしなかった日など、1日もなかった。
そのくらい、俺はゲームが好きだったのだ。
ゲームのせいで母と喧嘩になったこともあった。
怒鳴られたり、パソコンとスマホを没収されたり、そりゃもうひどい仕打ちをされたものだ。
それでも俺はゲームを続けた。俺にはこなすべきデイリーがあったのだ。
挙げ句の果てに、その冷戦は母の敗北に終わり、俺は心ゆくまでゲームをすることを許された。
そこまでして死守したゲームだったが、いつのまにか、俺はゲームをしなくなっていた。
対戦で強くなればなるほど、現実世界の自分が虚ろな人間になっていくような気がしたからだ。
もっと意味のあること、やるべきことがあるはずだという、ある種の焦燥感に駆られただけなのかもしれない。
もう自分は小学生ではない。
今の俺は、昔のような熱量をゲームに注ぐことができなくなっていた。
ゲームだけでなく、何事に対しても。
その時もっと本を読んでいれば、勉強をしていれば、運動をしていればと、ゲームに没頭した日々を後悔する念が浮かび上がってくることもある。
だが、今後の人生、それほどまでに純粋な熱意を燃やせるようなものに、果たして俺は出会えるのだろうか。
そう思うと、それらの時間を全く無駄なものだったと片付けてしまうのは、自分をさらに虚ろな人間にする破滅行為にしかならない。
要するに、俺は子供の頃、ゲームが好きだった。
それだけでいいような気がしてきた。