私が引きこもっていた中学時代のこと。
誰にも会いたくなくて、たくさんの関わりを断ってしまっていたけれど、一人だけ、会える人がいた。1年上の部活の先輩。私にとってお姉さん的な存在だった。引きこもっていた私に、普通に会いに来て、そして普通に接してくれた。当時の私にとって、唯一の、人との、社会との、つながりだった。
ある日突然、先輩から電話。
「部活来てよ。来月から、親の転勤で遠くに引っ越すことになった。だから、あと少しだけでも、一緒に部活やろうよ。」
目の前が真っ暗になった。先輩がいなくなったら、私、どうやって生きていけば良いんだろう…。と。考えて、考えて、出した結論。
「今なら先輩がいる。今、外に出ないまま、先輩がいなくなったら、私は一生外に出られないかもしれない。」
いきなり学校はハードルが高かったから、まずは家から出て、先輩のうちに行った。それから、朝、先輩の家に寄らせてもらって、そこから一緒に学校に行った。
先輩は予定通り引っ越していってしまったけれど、先輩のおかげで、私は社会とつながり続けることができた。
先輩は、今も遠くにいるけれど、今でも私の恩人だし、大切な存在。
「恋は魔法、愛は思いやりと歩み寄り」だって、誰かが言ってたな。
そう、恋は魔法。ある日突然降ってくる。自分ではコントロールできない。そして、魔法はいつかとける。降ってきた時と同じように、ある日突然。
愛は歩み寄りと思いやり。自分の意志で、一歩一歩紡ぐもの。
恋の魔法をとかないたったひとつの方法は、魔法がかかっている間に、歩み寄り、思いやり、自分の意志で愛に変換していくこと。
独り暮らしの頃、真夜中は怖かった。
急に身体が動かなくなる、いわゆる金縛り。
目が開けられないのに、見知らぬ人が寝ている自分のまわりを歩き回っている感覚。
身体中を虫が這っているような感覚。
夢だか現実だかわからなくて、朝になると夢だったような気がして、それでも不快感と恐怖感だけはしっかり残っていて…
そんな夜がたくさんあった。
娘が産まれてから、それはピタッとなくなった。
金縛りも、見知らぬ人も、虫たちも、もうやってこない。
夢だか現実だかわからない、何ともいえないあの感覚は、もうやってこない。
だから安心。もう夜は怖くない。
夜泣きで起こされようが、布団を乗っ取られようが、寝相が悪い娘に蹴られようが。
むしろ現実を実感できて安心。
娘に守られているのかもしれない。
追記
真夜中のタイトルに導かれて、独り暮らし時代の夜中の嫌な感覚を思いだし、上記を書いてみたが、そのあと気になって調べた。金縛りは、睡眠麻痺といって、その間に人の気配を感じたり何かが身体の上に乗っている感覚も、睡眠麻痺の間によく起こるそう。10代~20代に起こりやすい、不規則な生活をしていると起こりやすい、とも書かれていた。当日自分は20代で変則勤務をしていた。そういうことだったのか。
「愛があればなんでもできる?」
なんでもはできない。
なぜならば、自分に正直であることも愛の一部だと思うから。
そんな自分は冷たいのかな、と思うこともあるけれど。自分に正直であることを犠牲にした愛は、永遠には続かない。
だから、私は大切な相手であればあるほど、我慢はしない。自分の言いたいことは全部言う。そして、そういう関係でいられることに感謝する。