『貴方に、チャンスを与えましょう。』
そう言い、微笑む顔は悪魔のようだった。
『俺は死んだのか?』
何もない所に、俺が居るだけ。確か俺は、車に轢かれて死んだはず。では、ここは俺が居た世界とは違うのか?
『惨めな人間ですね。』
何者かが言う。暗くて姿は見えない。
『親に無理心中をさせられた。しかし、自分だけは、生き残り、スラム街で暮らす事になった。そこは、犯罪者の巣窟。いつしか、自らも悪に手を染める事に。』
何者かが、平坦と言う。驚くべき事に、何者かが話した内容は、俺の過去の話だった。何故こいつは知っている?
『窃盗、暴行、殺人は常。警察に捕まっても、死罪は免れない。そんな中で、殺害された。見るに堪えませんよ。』
今こいつは何て言った?殺害?そんなはずはない。俺は事故死のはず。
『おや、知らなかったのですか?貴方は、共に悪事を働いた仲間により、事故死に見せかけ殺害されていますよ。警察に殺せば罪を軽くする、と言われたのでしょう。』
乾いた笑いが出た。俺は親にも仲間にも見放されたのか。良かった。これ以上、惨めなまま生きなくて。
『惨めな貴方に、チャンスを与えましょう。』
何だ?自分に仕えろとでも言うのか?
『貴方には、死者の記憶を記す図書館。故人図書館の司書を務めてていただきたいです。務めていただけたら、今までの罪を帳消しにしましょう。』
俺がやったところで、こいつには何のメリットもない。本当に何がしたいんだ?
『貴方ほどの苦労人、そうそういません。それに知りたいでしょう?貴方に関わった人、貴方が殺した人、皆どのように生きてきたのか。』
あいつ等の生き様。知りたい。そして確かめたい。人の善悪の有無を。それにしても、こいつは何者なんだ?
『私はただの、遊び好きな神様ですよ。』
「司書さんって、何で司書やってんの?」
『さぁ?忘れてしまいましたよ。』
私の記憶は、私と神様だけが知っていればいいのです。
今宵も、貴方様の物語をお待ちしております。
〜故人図書館〜 時折、相談室。
「僕は幸せです。」
そう言い残し、私の最愛の人は亡くなった。
「死んでしまいたい。」
その言葉が口をついた瞬間、私は死の選択を選んだ。きっとこうなったのは、神様のせい。神様が私の最愛の人に、不治の病というオプションを付けたせい。許さない。私から彼を、生きる意味を奪いやがって。でも、こんな悪態を付くのも疲れた。彼に会いたいよ。
『やっぱりここに来ましたか。』
ここは彼が人生の半分以上を過ごした病院。その屋上に、半透明な彼が居た。いつもの笑顔でそこに居た。
『会いたかったです。でも、ここに来ては駄目ですよ。』
彼はやんちゃな子供を宥めるように言った。
「そんな事言わないでよ。私は君が居ない人生なんてどうでもいいんだよ。」
私は泣いていた。死んだ彼と再会できて嬉しい。しかし、これは本当に彼との再会のお陰か?
『君と出逢えて、僕は幸せでした。だから、君にも幸せになって欲しいんです。死以外の選択肢で。それに君はー。』
お願いだからそれ以上は言わないで。
『本当に死ぬ気はないのでしょ?』
「そうだよ。でも、君と会いたい、この気持ちは本物だよ。どれだけ思いが強くても、死ぬのは怖いよ。」
全て話した。改めると、最低だと思う。それでも、これが人間ってもんだろう。結局は、自分が一番なのだ。
『それが聞けてよかったです。』
彼は笑顔のままだった。作り物には見えない程の、穏やかな笑顔だった。
『怖いのならば、生きてください。人生の限界まで生き抜いてください。それが、僕のたった一つの願いです。』
彼はそれだけを残して、空の青さに飽和されていった。
死ぬのは怖い。それでも、生きていたくない。そんな矛盾を抱えながら、私は生きていく。辛く、苦しい人生でも、この道の先に彼が笑って待っている。そう思うだけで、生きたいと思える。きっと人間は難しいようにできてるだけで、本当は単純なんだ。
『お前の願いは何だ?』
彼が聞く。私は何も答えられなかった。
『天使様が、こんな所に来るなよ。』
冷たく突き放すように言う彼。ここは地獄。私は天使。神に仕える者。彼は〝元〟天使。悪を更生させる者。天国が私の居場所。では何故、私はここに居るのだろう。
あれは彼が、善の死者を殺した時だった。本来、善の死者は、人間として輪廻転生をする。それが決まりだ。それなのに、彼は善の死者を殺した。これは大罪だ。
『何故こんな事を?君は天使じゃなくなるんだぞ。』
『あいつは人間になる事を拒んだ。そして、死を望んだ。だから殺した。あいつを救うために。』
意味が分からなかった。死が救済に?馬鹿げてる。
『何故お前達は、善人が死を望まないと思っている?優し過ぎるから分かる痛みが存在するというのに。』
そう言った彼の羽は、黒く染まり始めていた。
『俺は皆の願いを叶えたい。綺麗事かもしれない。だとしても、やらずにはいられないんだ。お前の願いは何だ?』
私は何も言えなかった。
あの日から考えた。私の願い。一つだけある。きっと私はこの願いのために、地獄に居たのだろう。私は自分の願いを伝えるべく、地獄へと向かった。
『また来たのか。』
彼は呆れ気味に言った。私は感情が昂らないよう、深呼吸を一つした。
『以前は答えられなかった、私の願いを言いに来た。』
彼は先程とは違い、真剣な眼差しをしていた。
『君とまた日差しの当たる場所を歩きたい。』
きっと私は、彼と一緒に居たい、それだけの思いでここまで来たのだろう。くだらないかもしれない。それでも、私の思いはこの一つだけだ。
『俺はもう、君が知ってる天使じゃないんだぞ。それでもいいのか?』
『もちろんだ。親友だろ?』
私達は笑った。天国にも届く、大声で。
『帰ってよ。』
彼が言う。何でそんな顔をするの?
「今までありがとう。」
この言葉を残して、彼は死んだ。長年の闘病生活から開放されたかのような、安らかな顔だった。私は看護師に声をかけられるまで、彼の死を信じなかった。信じたくなかった。今も残る、彼の手の温度。それも段々と薄れていく。彼の存在が消えていくようで怖かった。これから私はどう生きていけばいいのか分からなかった。彼のいない地獄を生きるのならば、いっその事、彼の元へ逝きたい。そして私は、自殺を決意した。
「ここはどこ?自殺に成功したのか?」
殺風景の中にある駅のホーム。その中央に私は立っていた。周りには何もなかった。
『何で来たの?』
懐かしの声がした。私は振り返った。そこには彼がいた。私が愛した彼は、どこか不満そうな顔だった。
『帰ってよ。君はここに来るべきではない。』
「何でそんな事言うの?私は貴方に会いに来たんだよ。」
『いいから帰って!』
突然の大声に、言葉が止まる。彼を見る。彼の顔には怒りがあった。しかし、頬は濡れていた。
『君には僕の分も生きて欲しいんだ。』
弱々しい彼の本心。私は自然と涙を流した。
『もう時期、電車が来る。それに乗れば帰れる。』
「貴方のいない世界で私は呼吸ができないよ。」
『大丈夫。君は一人じゃない。いつだって傍にいるよ。』
電車の訪れを告げる音がした。ドアが開くと、彼は私の背中を押した。
『もうこんな早くに来たら駄目だよ。』
窓越しに見えるのは、手を振る彼の笑顔と涙だけだった。
「君と私は赤い糸で結ばれてるんだよ。」
そう言って小指を立てた。ずるい私でごめんね。
「何で運命の糸は、赤なんだろうね。」
私が聞くと彼は、悪戯っぽく笑った。
「それはね。血の色だからだよ。」
彼は私を驚かそうとしたのだろうか。しかし、逆効果だ。いつだって私を楽しませてくれる彼が、とても愛おしい。
「血の色って、何だか呪いみたい。」
「確かに。」
二人で笑った。こんな幸せな日々は、長く続かないのに。
「ごめんね。駄目な彼女で。」
私は最後の力を振り絞って、彼の手を握った。投薬で浮腫んだ手を、彼は強く握り返してきた。もう時期、私は死ぬのだろう。前々から分かっていた事なのに、こんなにも怖いなんて。
「大丈夫。俺はずっと傍にいるよ。」
彼は笑顔で言ってくれた。しかし、目元が赤くなっている。私に気遣ってくれたのだろう。
「ありがとう。じゃあ、一つお願いしていい?」
彼は頷いた。きっとこれは、彼の人生を邪魔する最悪の願いだ。それでも、最後ぐらい我儘な呪いをかけさせてね。
「私以外と、結ばれないでね。君と私は赤い糸で結ばれてるんだから。」
彼は驚いた顔を見せた。しかし、笑顔で言ってくれた。
「俺には君だけだよ。だから君も、天国で浮気したら駄目だよ。」
二人で笑った。二人を結ぶ赤い糸。私は願う。糸が切れないように、ただ願う。