【半袖】
「うぅ、寒い。」
それはある真夏日のことであった。
外にいれば熱中症になることは明白。
そうなれば室内にいるしかない。
そう思って室内にいくと涼しかった。
身体中の熱を冷やしていく空間は気持ちが良かった。
しかし、しばらくしてその気持ちは終わりを迎えた。
あれだけ気持ちの良かった空間が、突如として私に敵意を向け始めたのだ。
体温は徐々に下がり始め、身体は震えだした。
「寒い。」
猛暑の日である。上着などは着ておらず、着ているのは半袖であった。
寒さが身体を支配した頃、私はもう一度外に出ることにした。
「暑い。」
先程まで冷えていた身体が再び熱を持ち始める。
額には汗が滲んできた。
「もうダメだ。」
暑さを全身で感じながら、逃げるように室内へと入っていった。
そしてまた、身体を冷やすのだった。
次の日、私は風邪をひいた。
半袖だけでは私は夏を乗り切れなかったようだ。
その日、私はカバンの中に上着を入れてからベッドで眠るのだった。
【天国と地獄】
多くの人が言った。
「彼はたくさんの人を救ったヒーローだった。きっと天国でも人助けをしているのでしょう。」
「閻魔様。この者は多くの命を救ったと同時に、多くの命を奪ってきたようです。」
「そうか。過去にもいたな。こんな奴が。そういう奴らは皆、下界では英雄だのヒーローだの言われていたな。」
閻魔様は過去を振り返り、その男に質問をした。
「ところで、貴様は正義の名のもとに多くの命を奪ってきた訳だが、その正義がはたして正しかったと思うか。」
男はしばらくして答えた。
「僕は人々を救うために戦いました。彼らを救うためには、彼らの敵を倒さねばならなかったのです。そうでなければ彼らは死んでしまっていたでしょう。ですから、僕のやったことは正しかった。」
「そうか。」
閻魔様はそう言うと地獄行きの書類にチェックを入れた。
「貴様が多くの人を救ったと言うのもまた事実だ。だが、貴様には1度、お前のような者たちを集めた場所に送ろう。互いの正義がぶつかり合う様は、まさに地獄のようだろう。その後は好きに天国にでも行ってもらって構わん。受け入れられるかは分からないがな。」
【月に願いを】
僕は満月の夜に、外に出ることを禁じられていた。
「いいかい。私達狼人間はね、満月を見ると完全な狼になってしまうんだ。そうしたら理性が働かなくなって、お友達だとか関係なく食べてしまおうとするんだ。それに、このことが人間に知られれば、私達はここで生きていくことは出来なくなってしまうんだよ。」
父はそう言っていた。
僕は誰も傷つけたくなかった。だから、今までずっと満月の夜には家の中で過ごしていた。
そして今日、僕は生まれて初めて満月の夜に外に出たのだった。
ある日僕は図書館でこんな本を見つけた。
『狼王子と月の姫』
この本は狼人間であった王子が姫を助けて結婚した後、満月を見て狼になってしまった王子を助けるために姫は月に願い事をして、最後には光の粒になって消えてしまうというお話だ。
最後に残るのは狼王子だけ。
姫が消えてしまった原因は王子だというのに。
僕はこの本が嫌いだった。
王子は結婚の記念として満月の夜に輝くという月光石を贈ろうとした。それが満月を見ることにつながったのだ。
なんと軽率な行動だと、僕は子供ながらに思った。
月日は経ち、僕は町の農家の娘と結婚した。
彼女はとても優しい人間だった。誰にでも親切で、彼女を慕う人はたくさんいた。
どうして僕と結婚してくれたんだと聞くと
「あなたの誠実さに惹かれた」
と言った。
誠実なものか。僕は自分が狼人間であることを未だに彼女に話していない。もし僕が狼人間だと知られたら、きっと彼女とは一緒に居られなくなってしまう。
それが怖かった。
ある満月の夜のことであった。
「あなた。今日は良い月ですよ。見なくていいのですか?」
彼女は優しく僕に話しかけた。
「僕はいいよ。月を見るとなんだか哀しくなるから。」
「そうでしたか。」
彼女はそれ以上何も言わず、1人月を眺めていた。
共に月を眺められたのならどれほど良かっただろうか。月明かりに照らされた彼女の横顔を見て、僕はそう思った。
結婚をして何年か経った頃。僕は仕事である手紙の配達にも慣れてきた。彼女も農家としての仕事をそつなくこなしていた。
その日は配達する手紙が多く、帰りが遅くなってしまった。
「今日は満月だから、月が出る前に帰れて良かった。」
そう言いながら家に帰った僕は驚いた。
彼女がいなくなっていた。
いつもであれば家に居る時間である。
家の中は荒らされ、床には彼女の作ったであろう野菜が転がっていた。
僕は数日前、配達の時に聞いた話を思い出した。
「配達員さん。ご苦労さま。最近ここらで人さらいが起きたって噂を聞いたんだよ。あんたも気をつけてね。」
僕のせいだ。僕があの時対策を講じていれば。
その日は結婚記念日だった。僕は彼女に新しい鍬を買った。ただ彼女が喜ぶ姿を見たかった。その姿を見た時、僕は人さらいのことなんて忘れてしまっていた。
彼女のいなくなった家の中で、僕は不安と恐怖に襲われた。
「助けに行かなきゃ。」
そう呟いたと同時に、僕は家を飛び出した。
幸い、狼人間は嗅覚が鋭い。僕は彼女の匂いを辿って行くことができた。
鬱蒼とした森を抜けると、そこには数台の馬車と数人の男がいた。どうやら彼女はその馬車のなかにいるようであった。
僕は彼女の名前を叫ぶと、その馬車に走った。
「なんだこいつは。俺たちの商売の邪魔をしようってか。そうはさせねぇ。お前らこいつをやっちまえ。」
そう1人の男が言うと、周りの数人の男が僕に襲いかかってきた。
今の僕はただ鼻の良い人間に過ぎなかった。男たちに蹴られ、殴られ、そしてその場に倒れると、男たちは再び歩き始めた。
「今日は満月だったな。お月様。僕はどうなってもいい。だけど、彼女だけは助けたいんだ。」
悔しくて目の前はぼやけていた。僕は目をこすると満月を直視した。
「あ、あが……ぐ…」
僕はみるみるうちに狼へと変身した。
「あ、なんだ。こんな場所に狼だと。おいお前ら、商品を傷つけるなよ。見たところ1匹みたいだ。やっちまえ。」
もう僕に意識はなかった。ただ目の前の肉に噛みつき、食い破った。
「ひぃ。なんだこの狼。」
男たちは1人、またひとりと動かなくなっていった。
そして、全ての男たちを食い殺したあと、僕は馬車を見ていた。
やめ…僕は…彼女を…。
僕は馬車の屋根を破壊した。
目の前には怯えた様子の彼女がいた。
「あ、あなたなの。」
彼女は震える声で確かにそう言った。
しかし僕はそんな彼女に飛びかかった。
「きゃ。」
彼女はすんでのところで避けたが、その拍子に彼女の顔を僕の爪が引っ掻いた。
やめてくれ……僕は彼女を殺したくない。
僕の心とは裏腹に、僕は再び飛びかかる体勢になった。
「あなた、正気に戻って。私は傷つくあなたを見たくない。」
何を言っているんだ。傷ついているのは君の方だ。
あぁ、お月様。僕は彼女だけでも助けたいのに。
そんな想いも虚しく、僕は再び彼女に飛びかかった。
ガシッ
僕の牙は彼女を貫いたはずであった。
「またあなたに…助けられた……わね。」
彼女の手には僕の贈った鍬が握られていた。
どうやら人さらいの男が、まだ新品の鍬だったため金になると思い盗んだようであった。
しかし、いくら農作業で鍛えていたとはいえ、狼の力に耐え続けられるわけもない。
「お月様。彼を狼にしたのはあなた…なのでしょう…。お願い…します…。どうか…彼を元に…戻して…。」
その時であった。
満月を隠すように雲が空を覆い始めた。
僕はみるみるうちに人間へと戻り、そのまま倒れたのだった。
僕が目を覚ますと、そこは彼女と暮らす家であった。
しかし、誰もいない。
僕は慌てて家中を探し回った。けれど、彼女を見つけることは出来なかった。
昨夜のことを思い返してみる。僕は彼女を襲った。
その後、彼女がどうなったのかは見ていない。
そうであった、あの場には別の女性もいた。恐らくこの村の娘達であろう。彼女達は走り去るのを見た気がした。
「もうこの町には居られないな。」
僕はそう呟くと荷造りを始めた。
ガチャ
「ただいま。あ、あなた起きたのね。身体は大丈夫。」
彼女であった。
「僕は…君を…。いや、僕は狼人間で…。」
昨夜の出来事があったからか、僕は彼女を見ることが出来なかった。
「何となくわかってた。あなた、満月の日の夜はずっと月明かりの届かない場所にいるから。」
僕は驚いた。
「お、狼人間だと知っていてなんで一緒に暮らしてくれたんだ。」
「言ったでしょ。あなたの誠実さに惹かれたって。」
そう言うと彼女は微笑んだ。
「でも、あの場所には他の娘さん達もいただろう。僕はもうこの町には居られない。」
僕はもう狼人間だと知られた。それはつまり、町を出ることと同義であった。
「皆あなたに感謝していたわ。少なくとも、彼女たちはあなたが町を出ることを止めるでしょうね。もちろん私も。」
「いいのかい。僕がこの町に居ても。」
ガチャ
「奥さん。ご主人は起きましたか。起きたなら、そろそろご主人への感謝会を始めましょう。あ、ご主人昨晩は助けていただきありがとうございました。」
僕の目からは涙が零れていた。
僕はこの日、初めて本当の町民になれた気がした。
「行きましょうあなた。」
僕は彼女の手を取り、玄関を出た。
そこでは、たくさんの町民が僕を迎えてくれていたのだった。
【いつまでも降り止まない、雨】
彼女はいつも雨の中にいた。
外にいる時。家にいる時もだ。
どうやら彼女は「雨女」らしい。
彼女の感情が沈めば沈むほど雨は強くなる。
昔、俺が居残りをさせられていた日のことだった。
その日は帰りが遅くなってしまった。
事前に彼女には先に帰ってくれていいと言っていた。
そう言ったとき、彼女の雨が少し強くなったことを今でも覚えている。
俺は帰ろうと学校を出る。
ザー………
校門の前だけが大雨だった。
俺は慌てて校門の方に走り出した。
「待っててくれたのか。」
そう言った俺を見た彼女の顔は、雨上がりの虹のように美しかった。
彼女は小さくうなずくと、彼女の雨は弱まった。
その日、俺は彼女と一緒に下校した。
その間、彼女の雨が強まることはなかった。
数年後、今では彼女と同じ傘の下で暮らしている。
【あの頃の不安だった私へ】
あの時、あなたは不安と同時に全てを消し去ろうとした。
あなたは泣いていた。
自分以外、誰もいない部屋で。
あなたは真面目すぎた。
他人の理想になろうとしていた。
無理だった。
あなたはその時に1度____。
もうそんな不安は抱かなくていい。
もう誰かの理想にならなくていい。
逃げたい時は逃げていい。
感情を起伏させなくていい。
だって私はもう死んでいるのだから。