その時間がふたりだけのものだったら、
どんなによかっただろう
その秘密がふたりだけのものだったら、
きっとこうはならなかっただろう
その命がふたりだけのものだったら、
この手は汚れずに済んだはずだった
この世界にふたりきりで
きっとわたしたち、死んでゆきたかった
人波に流されるまま
時の大河にさらわれて
ふたり固く握ったはずの手のひらは
今ひとり、空を切るばかり
運命だと信じたかった
ふたりの愛のお葬式
「二人だけの。」
幼い頃、大好きだった夏
病床で、窓越しに見た夏
十四歳、淡い恋をした夏
ふたり、氷菓を食べた夏
夏が嫌いだ
照りつける太陽も、
うるさいほどの蝉の声も、
生命の伊吹を感じさせる木々も、
むわりと体をつつむ湿気も、
青い青い空に浮かぶ入道雲も、
空に閃く稲光も、
雨が去ったあとの夕暮れも、
全部全部大嫌いだ
だってそれは昔、私の世界だったのだから!
置いてきた心たちと
変わってしまった全てがくるしい
あのころきらめいて見えた夏の日差しは
今私を痛めつける鋭い光になった
溢れんばかりの命の気配も、その輝きも
私にはもう外側から見つめることしか出来ない
頭も、瞳も、心も鋭く痛む、
だけど諦めきれない、
私の、わたしの、わたしたちの、夏
「夏」
あなたが真実を隠していることに
わたしは気づいている
そしてわたしはずっと、
見ないふりをし続けている
あなたがそれを隠した理由も、
その中身もわたしは知らない
あなたを愛しているとか、
知ることで傷つきたくないとか、
そんな理由じゃない
別にわたしは、
真実が欲しいわけじゃあないし、
反対に嘘が欲しいわけでもない
あなたに興味がないとか、
好意がないとか、
そんなことでもない
ただ単にわたしは、
あなたがわたしに、
あなた自身をそう見せたいのなら
それでもいい
そういう怠惰なのだ
「隠された真実」
チリン、と澄んだ音のする風鈴は
想像するような硝子の風鈴ではなくて
向こう側なんて見えやしない鉄でできている
美しい春の音を奏でるうぐいすの姿は
梅によく映えるようなみどりではなくて
その幹に同化するような茶色をしている
虚構の陰にある真実は
けして
綺麗とは言えない姿をしているかもしれない
けれど、その虚構を支えたのは
陰から響くうつくしい音なのだ
「風鈴の音」
ここ数日の記憶が無い
あるのは鈍く痛む頭と
鉛のように重たい身体だけ
思い返そうとしてみても
するりと軽く躱されて
本当にそこには何もないみたいだ
霧が隠しているよう、
なんていうけれど
ここにはその霧さえない
けれど、
確かに冷蔵庫の中身は減っていて
洗濯物が増えていて
カレンダーの日付は進んでいる
写真を見た
きっと置いてきたのだ
私の心、私の記憶
私の一部を
やむにやまれぬことだったのかもしれないし
愛ゆえに誰かにあげたのかもしれない
もしかしたら、ただのうっかりかもしれない
ただ、私にはその記憶さえないから
ぽっかり空いた空白の私を想って
影とと共に踊りながら
少しの寂しさと晴れやかさと、
切り取られた痛みを棺に入れて
ささやかな弔いをすることにしたのだ
再会は望めないことを知ったから
再会を望まない心を見つけたから
「心だけ、逃避行」