毎年エイプリルフールの時期が近づくと、
今年はどんな嘘をつこうか、
誰に嘘をつこうか、と考える。
でもどうせ嘘をつくなら、
誰も傷つかない、
嘘をつかれた時も
嘘だと分かった時も
楽しい気持ちになるようなのがいい。
そういう高望みをするから、
あれでもない、これでもないと
散々悩んで、
気がつくと4月2日になっているのである。
なんというか、まさに四月馬鹿。
しかしまあ、こういうのも悪くないか、
とも思うのである。
◆今年の嘘候補
・母がタヌキを拾ってしまって…
・人魚姫の結末についての解釈で喧嘩しました
・ずっと倉敷市のことを敷倉市だと思ってました
「エイプリルフール」
皆んなみんな
幸せになれればいいのに
幸せに
幸せになってほしい
幸せになりたい
でもたぶん
この星で生まれて
しかも絶滅してない
生きものなんだから
無理なんだろうなぁ
特に人間なんかはさ、
無駄に知恵あるし
やんなっちゃうね
「幸せに」
なんにもないよ
ここにはないよ
隠してないよ
嘘じゃないもの
ほんとだよ
後ろは見ないで
足元もだよ
覗き込まないで!
なんにもないったら…
どうして
そんなに気になるの
どうして
そんなに気にするの
どうして
そんなに探すのよ!
なにもないって言ってるのに
断
見つかっちゃった
見つけられちゃった
バレちゃったね
覗かれちゃったね
バレなければ
見られなければ
知られなければ
すました顔して
隣にいられたのに
ああ、私の顔、
こんなに醜かったかしら
「何気ないふり」
ハッピーエンド、
素敵だよね。
苦難を乗り越えて
幸せを掴み取って
めでたしめでたし。
バッドエンドとか
観てられないくらい苦手だしさ、
メリーバッドエンドだって、
本人たちが幸せだっていっても
観てる私は苦しい。
だけどこの世は
バッドエンドも
メリーバッドエンドも
嫌になる程ありふれていて
“あの家の奥さん、若いのにくも膜下で”
“自殺したんだってさ、可哀想に”
そんな話を聞くことも
まァ珍しくもない。
どうせ生きるなら
ハッピーエンドでさ
“ああ!楽しかった!”
って終わりたいけれど、
でも本当は
ハッピーエンドじゃあ
私、満足出来ないや。
終わり良ければ全て良しなんて
そんな訳ないじゃん。
そりゃ喉元すぎりゃとか言うよ。
確かに少しは忘れるけどさ。
でも渦中にいる時は
痛い痛い
苦しい苦しい
“誰か助けてくれ!!”って
もうなんでもいいから
縋りつきたいの。怖いの。
ずっと幸福にひたってたい。
痛いのも苦しいのも辛いのも嫌い。
それが叶わないから、
叶わないことが分かっているから、
エンディングまでの道のりが
こんなにも遠く感じる。
息苦しいな。
生き苦しいな。
「ハッピーエンド」
まだ何も知らぬ
幼子だから
この世の全てが
興味深く、美しく見えて
たくさんの愛に包まれて
大切に大切に守られてきたから
人の醜さを
疑うことを知らぬ
無垢でいとけない
愛されるべき生きもの
それでも
無垢であるからこそ
ものを知らぬからこそ
そのむき出しの本能は
幾重にも纏う
煌びやかな衣の奥に隠された
浅ましき本心を
嗅ぎつけ、見透かす
それが何かもわからぬのに
必死に隠した私の醜さを
いとも簡単に見つけてみせる
そしてその無垢な瞳で問うのだ
それはなにか、と
答えてもらえると
疑いもせずに
「見つめられると」