さっきから
その人が視界に入っているのだけれど
十分にわかっているのに
あえて焦点を合わそうとしないでおく。
香りのいいコーヒーを喉を通す前に
ゆっくりと薫りだけを味わうように、
ただ同じ空間にいることを。
その人が友人と会話を交わし出ていった。
ほぅ と息を吐いて目を閉じる。
その真っ暗な中で
ついさっきまで焦点を敢えてぼかした
あの人の姿を探す。
暗闇の中で、ぼんやりと浮かび
やがてくっきりと輪郭を取り戻した人は
私とは一ミリも関わりのない話題に興じ
一ミリもかすらないまま 出ていった。
だあれもなにもきづかない
何も言わない 何も聞かない
何も始まらなくても
何も起こらなくても
私の恋物語の主人公は わたし
心の中では既になにかが
こんなにもハッキリ芽生えているのだから
皆にとって あなたにとって
なんてことない 午後の日常でも
私にとっては 甘く切ない 恋物語
「恋物語」
朝 家を出ると生け垣の隙間から
猫どもが私をみてニャアオと笑う
昼になると 遠くの梢の影から
カラスどもが私を見つけ騒ぎたてる
夕方は柿の木に気配を消した
コウモリどもが羽を広げ我に気付けという
夜はなんとかギュッと目を閉じ
むりやり眠りにつくと
まどろみ始めた頃 フクロウが一羽
私の窓辺にやってきて
コツコツと私の部屋の窓を叩く
大きな目で私を射抜き
フクロウは真理を説く
まだおまえはそうやって
眠ったふりをしているのか。
なにもしようとしないのか?
過去も未来も 宇宙も含め
全てはお前の中にあるというのに。
全てがお前に 語りかけているというのに
目を背け続けて そうしていったい
いつ 目覚めるつもりだ
時の魔女よ と。
私に魔法のような言葉が紡げるものか。
朝を迎えたとて なんになる。
自嘲してやつに応える
それが真夜中
「真夜中」
傷口からまだ新しい血を流し
すべての音を遮断して
シン……という宇宙からの音
自分の体内を血が流れてゆく音
それらだけを拠り所とし
傷を癒やすために うずくまり
自分自身を労りながら蛹になる。
今日も生きて終えられた。
私は独り 蛹の中で呼吸して
身体をドロドロにして生まれ変わる
誰のことばも要らぬ
誰のたすけも要らぬ
だれの存在も要らぬ
朝になれば、また私は闘いに出る
ここには私 ひとりきり
ここには私 愛すべき対象は私のみ
愛とは 本来
ひとと人の間にあるもの
ひとと物の間にあるもの
ひとと神の間にあるもの
愛があれば何でもできるのか?
では 愛がなければ
なにもできはしないのか?
夜が明ける
新たな生命を得て目覚める
そうか 私が私を愛する限り
きっとなんにでもなれるのであろう。
きっと何でもできるのであろう。
#「愛があれば何でもできる?」
「後悔」
昨日ランチのデザートを
大きい方にするんじゃなかった。
昨夜あんなに
夜更かしするんじゃなかった。
今朝あと10分早く
起きればよかった。
昨日のうちにこれも
片付けておけばよかった。
自分の吐瀉物を
おぞましいと思いつつも
これだけしか見せられるものもなく
羞恥心と自己嫌悪に首まで浸かり
溺死寸前の泥の中で
かろうじて呼吸して
何かに祈るように
何かに縋るように
右上のOKボタンを押す。
あぁ押すんじゃなかった。
明日もまた 始まるのだろう
新たなようで、味に覚えのある
このにがい苦しみが。
私の毎日は 後悔の繰り返し
もしかしてどこかで
私を見ていたの?
風の強い日は
ゾッとする
ほんの数秒前まで
貴方と恋人に纏わりついて
その頬を撫で 四肢を撫で回した
その空気たちが
次の獲物を探し回る魔物よ
ほんの数秒前まで
貴方と恋人との
その狭い隙間を通り抜け
甘くてにがい香りもそのままに
私の鼻に照準を合わせ
私の心臓に一直線に向かい
舌なめずりをする悪魔よ
だから私は抵抗する
風の強い日は 心に鎧をまとい
ガラスの盾を持ち
何者にも傷つけられないよう
万全の装備をもって
ズタズタになったその身体を
誰にも見せなくて済むように
風に身を任せ?
そんなやつはよほどの愚か者
もしくはよほどの勇者だ
自分はそのどちらにもなれない
だから風の強い日は
ゾッとする。
「風に身を任せ」