「刹那」
朝、目を覚ます。
「起きる?」「誰かを待つ?」
クローゼットを開ける
「ベージュ系?」「ピンク系?」
街を歩く
「カフェにする?」「ファストフード?」
友達とお喋り
「そうそう、わかる。」
「うーん、そうかなあ、でもね。」
ニュースを見て
「共感する?」「批判する?」
親と喧嘩して
「ごめんなさい?」「うるさい?」
今日いえにかえる?
それともかえらない?
好きな人に
「告白する?」「秘めておく?」
別れの言葉を告げられたら
「笑顔で?」「泣きながら?」
そしてあなたの最期のとき
「感謝を伝える?」
「恨み言を残す?」
それとも?
わたしの人生は 選択の積み重ね
あなたの人生も 刹那の積み重ね
「生きる意味」
病院の真っ白な病室で
独り静かに呼吸する父
その周りでは母と私と妹と。
父の手を握り、足をさすり
声をかける
おとうさん! おとうさん!!
息を吸って
吐いて
吸って
吐いて
吸って
吐いて
……
もう、父は息を吸うことがなかった。
皆一様に涙を流した。
誰がいった言葉だったろう
人が生まれてくるときは
泣きながら生まれてくるけれど
周りの人は笑顔です。
人がこの世を去るときは
穏やかに目をとじるけれど
周りの人が泣くでしょう、と。
最期を送った病室の
小さな物入れの中から
父の身の回りのものを出してカバンに詰める。
古びた小さな携帯が出てきた。
父は指が大きかったため
メールを打つのにいつも苦労していた。
新聞をもつてきて だの
おちやがほしい
だの。
開いてみると 私宛の未送信メール
たんじょうびおめでとぅ
これからも
これからも、 なあに?
なあに? お父さん
これからも
その父の言葉が
私の生きる意味になった。
「善悪」
草原に身を隠すチーターが
ヨチヨチ歩きの水牛の子どもに狙いを定め
猛然と追いかけた。
木のうろで待つ二匹の子どもに
食べさせねばならぬ。
それに気づいた水牛の母親が
死ぬ覚悟でチーターの脇腹に
角を突き立てた。
チーターは前脚の爪を立て精一杯
水牛の母親に抵抗したが
腹に大きな穴を開け
その場でのたうち回り
やがて息絶えた。
ハゲワシが飛んできて
チーターの肉を喰らい腹を満たした。
酷い爪痕の残る母牛の傷には
ハエがたかって美味そうに血をすする。
やがてハイエナたちが
チーターの子供の匂いを嗅ぎ取り
自分らの子どもらに狩りを教えるだろう。
はたしてこの世界に
善悪 とやらはありますか?
「流れ星に願いを」
遠く遠く はるかにとおく
光の速さでも何年もかかるくらい
とおくから ただただゆめみてやってきて
まばゆいほど青いというこの惑星に
たとえようもなく美しいというこの惑星に
ひとめ会いたい とやってきて
その姿を見つけたとたん
引き寄せられ
恋焦がれた全身が
その己の恋の炎で燃えていく
一筋の白い光となって このあおと
ひとつに溶け合って このほしと
そうして 流れ星は目をとじる
そのような哀しいあなたの姿に
わたしが願うことは ただひとつ
あなたの願いが叶いますように
「ルール」
1961年8月13日、人の手によって
ベルリンの壁が作られた。
その壁を越えようとして、
はたまた ただふざけて
壁の近くで遊んでいただけで
人々は処刑された
136名の犠牲者が出たという。
1989年11月9日、人の手によって
ベルリンの壁は破壊された。
このルールは結局
人として生きる上の絶対的なものではなく
あってもなくても
どっちでもいいものだった。
そのどっちでもいいもので 人は
人々の手足を縛り
その首をくくり
名前を、亡骸をさらしてきたその歴史
30年以上経過したいま、現在でも
身の回りにあるどっちでもいいルール
制服のスカート丈、前髪の長さ、髪の色、etc.
まだ何者でもない、何者にもなれる貴女
あなたの根幹にあるべき
あなたをあなたとするルールはなあに?
あなたのほんとうの姿は なあに?
それを探しつづけることを
いきる という