砂浜で見つけた桜色の貝殻
君はそれを「垢抜けている」と言った
なぜかと訊ねると君は
「恋する乙女の頬だから」
その答えを聞いていた近くの少女は微笑んだ
あの人は誰よりもキラキラしてる
きっと舗装されてない道を歩いて来たのだろう
底知れぬ努力の積み重ねが手に取るようにわかる
その人しか持っていない
人生の厚みがあの人の誠実さと笑顔で伝わってくる
「おはよう」とか「お疲れ様です」などのあいさつ
相手の性格や好みに合わせて話題を作り、話しかける
一人で頑張っている人に声かけや手助けをする
悩んでいる人がいたら「どうしたの?」と訊ねる
こんな小さなことでも塵も積もれば山となるという
信頼できる間柄を生むキッカケになる
私は今の職場に勤めるようになってから
人間関係の構築に勤しんだ
まだ深くは仲を深められないけど笑い話はできる
難しい仕事でも教えてもらえれば何とかこなせる
人間関係における信頼は簡単には蓄積できない
でも些細なことの積み重ねが今の自分を作る
もう少し踏み込んでさらに仲良くなりたいけど
いじめの経験も些細なことすら
明るい性格の中に闇として残る
いじめられたり、裏切られたあの頃。
悔しくて、情けなくて、腹立たしい。
そんな言葉たちしか出てこない、闇の日々。
心の灯火はいつも推しの言葉だった。
言葉といえど私の場合は彼女が紡ぐ歌詞。
不幸な境遇をたどって生きてきた彼女だからこそ
書ける歌詞があった。
私はそんな歌詞に励まされ、
何かあったときは彼女を思い出し、踏ん張った。
今となっては推しが変わって
今流行りのバンドの曲の歌詞が心の灯火だ。
「ケセラセラ」と頭で唱えながら、仕事している。
今でも私の学生の頃の彼女が書いた歌詞は
私のつらい時に生かされている。
時代の流れや人生の岐路によって
そのときの心の灯火の曲は変わる。
それでも、
一度でも支えてくれた心の灯火となった推しの歌詞は
頭のどこかに刻まれていて、
不意を突いて助けてくれることがある。
それが私にとって小さくても光る心の灯火。
LINEの通知を見て返信に困ったときが度々ある。
友達に長文を送られて
通知のプレビューでは途切れてて続きを読みたいけど
返信する余裕がないとき。
元彼に「まだ俺のこと好き?」
って思い上がりもいい加減にしろよと思うけど、
未練という綺麗にはがせないシールが脳に貼ってある
意味がわからない返信を送られて
逆になんと答えたらいいかわからない時もある。
すぐに返信できず今は既読をつけたくないLINEは
どうしたらいいのかいつも迷う。
LINEに既読機能がついていて助かると思う反面、
そんな機能作らないでほしかったと嘆く自分がいる。
会って話せば解決できそうな内容なのに
LINEで丸く収めようさせようとしたあの日の自分が
今でも嫌いだ。
既読をつけたくないから開かずにいて後悔するのが
あの頃の人生の誤りだったのかと今思った。