もう視力を失った母の鏡台にはずっと、幼い私が描いた母の似顔絵が挟まっている。添えられた「だいすき」の「す」は、鏡文字だ。
鏡にはあの頃の母の歳を超えた私がいて、冷蔵庫にいつも貼ってある息子の手紙を思った。
母の愛情深いところが息子にも鏡写しのように似れば良いと祈りながら顔を擦って母の忘れ物探しに戻った。
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日本では鏡が度々御神体となって信仰されていますが、海外ではあまり、神格化されていないのか見つからないのが面白かったです。
ナルキッソスが見た水鏡とか、メデューサの邪眼の効果を防ぐため相手を確認するために鏡のように磨かれたアイギスの盾とか、神話や童話の中にでてくることはあるのですが。
あの人との想い出
テーマ いつまでも捨てられないもの
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ねぇ、夢にまで出てこないで。
私は何の努力もしてないからそれを誰かに誇ることなんてできないけれど、ただこの国の民である誇らしさを与えてくれた数々の人と自然に御礼を言いたくなることはあります。
今日で言えば、通りすがりの子ども連れの自転車の方が落としてしまったものを、降りなくても良いよー!と即座にニコニコしながら拾ってあげていた、ちょっと派手目のお姉さん、あなたのことです。
わだつみの こえはまだ届くか
漁火が灯籠に変わる 終戦記念日
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脳内BGMは元ちとせさんの「ワダツミの木」
終戦記念日って盆の最中にあるんだなと、改めて感じています。地獄の釜の蓋もあく明日16日だけでなく、15日も休んでおられる漁師さんもおられるでしょう。盆の送り火として、海へ灯籠流しをされる地域もあるとききます。
私が本で読んだあの「きけ わだつみのこえ」を書いた人々も現世へいらしたりしたかしら。
ずっと戦前ではなく戦後でいたいよと心の中で呟いて、旅行先でもあまり出ない夜の海に思いを馳せていました。
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冬にしか見られないらしいのですが、空の氷の粒に漁火の光が反射する漁火光柱というのがあるんですって。いつか夜の海の空で見えたら良いな。
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地獄の釜の蓋があくという慣用句で、地獄の釜は蓋をせずに咎人を煮るイメージがあるので、いつも違和感を感じています。
地獄の釜の蓋という別名が雑草だと思っていたキランソウについているのを初めて知りました。万能な薬草で、地獄に行きかけの病人も現世に帰ってくるからだそうですが、これは使わないから蓋をするわけで、使わないときに蓋をあける慣用句とは反対のニュアンスだよね?と頭を抱えました。
これ、時間経てばどっちかわからなくなるやつですね…。
熱風寒風吹き荒ぶ 大きな橋の自転車レーン
空とうみを独占して 自分のために張り上げる歌
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左右前後はもちろん確認して、後は車の窓の防音性を信じています。
なお、うみが平仮名なのは私にとって湖ですが、多くの人によっては海の方が想像がつきやすいかと思ったからです。
川縁を走る時もついつい鼻歌を口ずさんでしまうんですよね。ペダルでビートを刻める前方まっすぐの道。
誰かに何かを伝えたい歌も素敵だけど、自分を楽しますだけの歌がもっと私にもあっていい(迷惑でないか周りは見るとして)