「クーちゃんと父と私」
「もう良い年なんだから、ぬいぐるみで遊ぶのはやめなさい」
そう言って母は、クーちゃん──クマのぬいぐるみを私から取り上げた。
そのままゴミ袋に入れようとする母にしがみつき抵抗する。
ばしん!
腕を強く叩かれてしまい、あまりの痛さに思わず叫び声をあげた。
「何をしているんだ!」
間に入ってきた父と母が言い争いを始めた。
両親の喧嘩はいつものことだ。
こうなると父も母も、私が何をしようと見向きもしないのだが、そっと壁の方へ移動してやり過ごす。
「中学生になってからも、ぬいぐるみで遊ぶなんて、頭おかしいわよ。こんな子になるなんて……」
まるでゴミを見るような母の目が、大人になった今でも忘れられない。
本人が納得していないのに捨てるのは良くない、精神的に不安定になるのではないか──という父の主張に、母はしぶしぶ納得。
クーちゃんは廃棄処分は免れたものの、箱に入れられ、押し入れの奥に仕舞われることになった。
その後すぐに両親は離婚。
私は父についていくことになった。
母は鬼の形相で文句を言っていたが、そういうところが嫌だから父についていく、ということがわからないのだろう。
私と父は、ろくに荷物もまとめられず、逃げるように父の実家へと転がり込んだ。
思春期の娘を男手ひとつで育てるのは不安だ、と申し訳なさそうな父。その顔を見て、父についてきて良かったと心から思った。
私の部屋として案内された、二階の西向きの部屋。
ドアを開けると、そこには持ってくることが出来なかったクーちゃんがいた。
「どうして……」
クーちゃんをぎゅっと抱きしめる。
どんどん涙が溢れてきて、止まらない。
もしかしたら、こっそりと捨てられてしまうかもしれない──そう思った父は、実家にクーちゃんを預けてくれていたのだった。
────さよならは言わないで
「もっと早くに気付いていたら」
「告白……しようかと思って」
彼女はそう言ってマフラーの先を弄んだ。
「そっか……」
ため息のような相槌が白い。
ついにこの日が来てしまった。
「うまくいくことを祈ってるよ」
口ではそう言うけど、半分くらいしか祈ってない。
いや、ちっとも祈っていない。
「ねぇ見て」
空を見上げると、茜色と紺色のグラデーション。
「綺麗だな」
彼女の横顔を盗み見る。
もしかしたら、ふたりで下校するのはこれで最後になってしまうかもそれない。
好きならば、彼女の幸せを祈るべきだ。
うまくいかなければいい。
そうすれば、これからもずっと──
ふたつの思考に挟まれる。
もっと早く自分の気持ちに気付いていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
彼女の頭に手を乗せる。
こんなことをするのは、これで最後かもしれない。
「うまくいくといいな」
照れくさそうに「ありがとう」と言う笑顔に、鼻の奥が痛くなった。
────光と闇の狭間で
「幼馴染のあいつ」
「付き合ってないなんて、絶対嘘だろ……」
本当のことだ。
俺とあいつは彼氏彼女の関係ではない。
「お前ら距離感おかしい!」
どのへんがおかしいんだ?
なんだよ、その呆れたような顔は。
「この年で異性の幼馴染とそんな仲良いとか、絶対認めない!」
いや、認めないって何だよ。
もしかして、お前あいつのこと……
なんだよ、そんなに否定することないだろ。馬に蹴られたくない?
いやいや、だーかーらー!
俺とあいつはそういうんじゃねぇって。
「じゃあさ、例えば他の男……そうだな、女子たちが騒いでるサッカー部のエースのイケメンいるだろ。そいつがあの子に告ってたらどう思う?」
どうって……
そんなの、あいつが決めることだし……
「例えば、の話だって!」
「お前、今自分がどんな顔してるか教えてやろうか。親の仇見るような目ぇしてるぞ」
そんなの、鏡がないからわかるわけないだろ。
────距離
「これが最後」
貴方と会うのはこれが最後。
そう思いながら過ごす一日は、何もかもが輝いて見えた。
最後なのに、また会うみたいな挨拶をして、背を向け歩く。
振り向かない。
絶対に、振り向かない。
名を呼ばれても、肩を掴まれても。
泣き顔なんて、絶対に見せたくないのに。
いつも貴方は私のみっともない姿を見ようとする。
そのくせ私には格好悪いところを一切見せてくれない。
言わないで。
何も言わないで。
貴方にとっては慰める言葉かもしれない。
でも私にとっては、なによりも残酷な言葉。
貴方と私は今日が最後。
そのはずなのに……
一番綺麗に終わりたい。
そんなささやかな願いすら、貴方は叶えてくれない。
────泣かないで
「落葉する巨木」
「あーあ。全部色付かないまま落ちちゃったか」
せっかくここまで来たのに──余計な一言は口の中だけで呟く。
はらはらと落ちていく黄緑色の葉。
地面を覆い尽くしているそれらを踏みながら、彼とふたり、巨木の周りを歩く。
「今年の秋は紅葉が遅かったね」
いつまでも暑かったせいだ。
温暖化は春夏秋冬の秋を削り取ろうとしているかのよう。
「このまま温暖化が進んだら、どうなるんだろうな。来年もこんな感じだったら……そのうち、秋が無くなるかもしれん」
彼はそう言って巨木を見上げた。
強い風が吹き、枝がわさわさと揺れて葉を落としていく。
「そうだね」
来年はこの木の紅葉を見ることが出来るだろうか。
その頃、私たちふたりはどうなっているのだろうか。
まだ一緒にいるのか、それぞれ別の道を歩んでいるのか。
いつだって私の未来は白紙で、彼が持ってきた具材で夢を描いてきた。
これからもずっと、このまま彼を頼っていて良いのだろうか。
「来年はきっと大丈夫だよ。そう信じよう」
そう言って彼は私の手を握った。
いつだって彼は私より温かい。手も、顔も、体も、心も全部。
ひんやりとした風に乗って遠くから聞こえてくる、童謡『雪』
灯油の移動販売車だ。
秋はもう、終わり。
────冬のはじまり