「傷口」
ランチの誘いを断って、公園のベンチにひとり。
近くを走っていた小さな子が、転んで泣いている。
「痛いの痛いの飛んでけー。遠くの山まで飛んでけー」
母親がかける、魔法の言葉で泣き止む子供。
今の若いママも使うんだ……なんて思いながら、空を見上げる。
もう声も忘れてしまって、顔もぼんやりとしか覚えていない実の母を思い出す。
新しい母親とは折り合いが悪く、高校卒業と同時に家を出た。まるであの家から逃げるように。
今も、私は逃げている。
あの家からも、今自分が直面していることからも。
傷を治すには、患部の状態をきちんと把握する必要があるのではないか。
そう思うのに、私は傷口を見ることが出来ないでいる。
痛いの痛いの飛んでけ。遠くのお山……は、ここからでは見えない。
────遠くの空へ
「桜の天女」
一番好きな花を、君の人生で一番の晴れ姿に添えることができて本当に良かったと思う。
この一年あっという間だった。
トントン拍子に進んだかと思えばアクシデントが起きたりもしたけど、いつかいい思い出になると信じてる。
満開の桜の下で求婚して、ちょうど一年。
満開一歩手前の桜の前に天女が……
いや、白無垢姿の君だ。
このまま天に帰ってしまったらどうしよう。
そんなことを思うくらい君は綺麗で、泣きそうになる。
────言葉にできない
「膨らむ蕾を愛でる君を見つめる」
まだまだ朝晩は冷え込むが、日中の気温は高くなってきた。
少し霞んだ空。
数週間前までは聞こえなかった鶯の鳴き声。
椿の花が落ち、梅が満開を迎えて、桜の開花も秒読み。
カタクリの花や、あんずの花の見ごろを伝える報道が聞こえてきたら、もうすぐだ。
一番好きな花は桜だといつか言っていたね。
今年も君とその花を見に行くことが出来ることに感謝を。
桜の木を見上げる君。
きっと君は気付いていない。
今、俺がひとつの誓いを立てたこと。
────春爛漫
「一番近くて、一番遠い」
家が隣で年も一歳違い。
まるで兄妹みたいだと、お互いの家族も言っていた。
おままごと、かいじゅうごっこ、かくれんぼ、ひみつきち、たんけんごっこ、ゲーム……
制服を着るようになるまで、いっしょに遊ぶのが当たり前だった。
部活、試験、生徒会、文化祭の準備……
ランドセルを背負っているあたしには、わからなかったことが増えていって、顔を合わせることも少なくなってしまった。
同じ制服を着て、同じ学校に一年遅れて通って、初めて気がついたんだ。
兄妹なんかじゃ嫌だということに。
だけど、あなたにとってのあたしは今でも「家族じゃないけど家族同然」の妹分。
隣に住んでいなければ、良かったのかな。
中学で初めて出会う、ただの先輩後輩だったら違ったのかな。
だけど、ずっと一緒に遊んでいた思い出は、なくしたくない。
たぶんきっと、一番近くて、一番遠い。
────誰よりも、ずっと
「重ねて」
物心つく前から一緒にいるふたり。
言葉にしなくてもわかりあえた。
年を重ねていくにつれ、言葉にしなくてはならないことが少しずつ見つかっていく。
隠し事も嘘も少しずつ増えていって、言えないことを言いたくても言えなくなっていった。
もつれた糸を解くために遠回り。
今までも、これからも、同じ気持ちでお互いを見ている。
今は、昔みたいに言葉にしなくてもわかることがあるんだ。
積み重ねた年月。
崩れることなくこのままずっと、ふたりは年を重ねていく。
────これからも、ずっと