潮騒の、耳奥で弾けるような音を聞きながら、随分前に水の引き、ややぬかるんだ泥の上にしゃがみ込む。
「黄昏れる」という言葉は、きっと、真剣に自分や世界と向き合っている人にこそ相応しいのだろう。無だ。私は今、無を味わい、かつ持て余している。何かやることがあったはずだ。何かやることから、逃げ出してきたはずだ。潮騒と、カモメの声が心地いいと感じるのは、きっとそのせいだ。
どれくらい無になっていたか定かではない。足下にひやりとしたものを感じ、見てみると、乳白色の光の宝石が私の両足を撫でていた。
不意に、このまま泡になってやろうかと思った。将来に思いを馳せることなく、ただ揺らぎ、浮かび、弾けて消える。きっと彼らは、己の生まれた意味や成すべきことなどに囚われはしないのだ。
そこまで考えて、立ち上がる。
とてもくだらない事を考えている自分が居ることに気がついた。
そうだ。くだらないのだ。刹那を生きるこいつらは、弾けては消え、また新たに生まれ、永遠にそれを繰り返すのだ。一瞬の存在を主張するためだけに、また静かな揺らぎの時を生きるのだ。
故に、夢見る必要はなかった。
乳白色の潮騒が、今度は心の奥底で弾ける音がした。
肌の焦げる音かと思ったが、それは街路樹の幹の、丁度私より頭一つ高いところで鳴いていた。
彼をやや憎らしく見上げながら、一方でその短い生涯に憐れな思いを馳せていると、私の人生もまるで大差がないような気がした。
寒さを越え、痛みすら感じるあの頃を思い出す。
半年だ。
たかが半年前、私が恋焦がれていたものが、今はどうしようもなく憎らしいのだ。
あの時の私は半年の命だったのだろうか。半年前の私は既に死んでおり、今の私は新しい私に生まれ変わったのではないのだろうか。
ふと思い描いたものに冷笑し、歩き出す。音の主はどこかへ飛んで行った。私はあの者ではない。死んで生まれ変わったのではなく、ちょうど、長い旅を終え、故郷の善し悪しを懐かしんでいるような頃合なのだ。
故に、はじめまして、ではなく、ただいま、なのである。
夏の終わりは、まだ遠い。
「炭酸の泡って、ユラユラしてるところがさ、踊ってるように見えるんだよね。泡が踊ってる、て言うのかな。泡が踊るで阿波踊り。なんちゃって。……それはさておき、君はもうやらないの? 昔やってたじゃん、踊り。踊らなくなった君は、泡踊らず、かな、はは。初めて君と出会った時は、もっと活き活きしててさ、こう、キンキンに冷えたコーラみたいに刺激的だったのに。すっかりぬるくなっちゃったね」
書き上げた時は、期待に胸が弾むようだった。
読み上げた時は、期待と不安で胸がうずいた。
朝になって、手紙を破いて海へ捨てた。
私の心は、波にさらわれて見えなくなってしまった。
いつか、貴方に言われた。
「無いものを強請るより、有るものを大切に」
あれから何十回の8月が過ぎた。
今でも私は、無いもの強請りをしている。