潮騒の、耳奥で弾けるような音を聞きながら、随分前に水の引き、ややぬかるんだ泥の上にしゃがみ込む。
「黄昏れる」という言葉は、きっと、真剣に自分や世界と向き合っている人にこそ相応しいのだろう。無だ。私は今、無を味わい、かつ持て余している。何かやることがあったはずだ。何かやることから、逃げ出してきたはずだ。潮騒と、カモメの声が心地いいと感じるのは、きっとそのせいだ。
どれくらい無になっていたか定かではない。足下にひやりとしたものを感じ、見てみると、乳白色の光の宝石が私の両足を撫でていた。
不意に、このまま泡になってやろうかと思った。将来に思いを馳せることなく、ただ揺らぎ、浮かび、弾けて消える。きっと彼らは、己の生まれた意味や成すべきことなどに囚われはしないのだ。
そこまで考えて、立ち上がる。
とてもくだらない事を考えている自分が居ることに気がついた。
そうだ。くだらないのだ。刹那を生きるこいつらは、弾けては消え、また新たに生まれ、永遠にそれを繰り返すのだ。一瞬の存在を主張するためだけに、また静かな揺らぎの時を生きるのだ。
故に、夢見る必要はなかった。
乳白色の潮騒が、今度は心の奥底で弾ける音がした。
8/5/2025, 11:31:48 PM