架空

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7/18/2024, 10:57:07 PM

【私だけ】

私だけは人とは違う。

そんな自分には特別な魅力があると考えて、
周りとはちょっとズレてる自分を
演出したりする。

けれど大抵の場合、
特別感なんて全く感じない程度の人ばかり。
同じように考えて行動してる人が
あちこちに大量発生してるからね。

完全に自分のオリジナルって事は無い。
みんな何かしらに影響を受けて、
無意識のうちに真似して生きてる。

特に、聞かれてもいないのに、
勝手に自分語りを始めるタイプは
かなり重症だと思う。

どんな有名なクリエイターだって、
他の色々な作品を見て、
様々な分野からたくさんの物をインプットして、
そこから発展させて作品を生み出している。

過去の経験や記憶に頼らず、
完全にゼロから生み出すなんて、
無理な話。
絶対に何をするにしても、
何をひらめくとしても、
過去に見た何かから影響を受けている。

そこから発展させて何を生み出すかが重要。
「私だけ」というのは嘘であり無価値。
私はそう思っているから、
得意げに自分語りを始めた人からは
そっと距離を置く事にしている。

関わったとしても、何の特にもならないだろうから。

7/18/2024, 9:20:55 AM

【私のトラウマ】

あれは私がまだ7〜8歳の頃、
ギリギリ記憶に残ってるぐらい昔の話。

私の父はサービス業で、土日祝は絶対に仕事。
だからあれは、
夏休みなどの長期休暇中の平日の夜の思い出。

年に数回あるか無いかの、家族4人での外食。
チェーン店のステーキ屋さんで夕飯を食べて、
店を出た。

車に乗り込むまでの距離を歩く間に、
私は近くのパチンコ屋のネオンに見入ってしまった。

不規則なリズムで点滅し、
流れるように動く、カラフルな光。
文字が浮かび、消え、
また形を変えて、陽気に動き回る。

私はその点滅のスピードに追い付こうと、
夢中で踊り始めた。
ジャンプし、両手を広げ、体を揺らした。

そして私がハッと気付いた時、
家族の乗った車は、
私を乗せないまま急発進した。

大慌てで車を追いかけて走った。
今思えば、ほんの数メートルの事だっただろう。
急発進だと感じたのも、きっとただの徐行で。

それでも当時の私にとっては、
何十年たっても思い出す度に心がザワザワする、
立派なトラウマになっている。

後部座席のドアを急いで開けて乗り込むと、
ミラー越しに父の険しい顔。
母も無言で睨んでくる。

母はいつもそうだ。
父や祖父母の前では、絶対に怒らない。
黙って睨み付けてくる。
そして夜、祖父母や弟が眠りについて、
父が遅くに帰宅するまでのわずかな時間に、
わざわざ私を起こして、往復ビンタの説教が始まる。

これは、そんな思い出の中のひとつだけど、
捨てられるという恐怖を強く感じた、
特に思い出したくない、
けれどはっきりと覚えている出来事だ。

7/16/2024, 2:11:13 PM

もう死んでもいいんじゃないかな。



….それだけだよ。

7/15/2024, 11:46:27 AM

前回の続きを書きたかったけれど、
今日はちょっと元気が足りないので
素直にお題に従おうと思います。

【終わりにしよう】

なるほど…終わりにしよう、ね。
ぱっと思い浮かぶのは、恋人達の別れかな?
あとは、自分の人生を終わりにしようって
真っ先に頭に浮かぶ人もいるんだろうね。
私もそう思ってた時期があったなぁ。

まぁでも、考え始めたらキリが無い。
どんなものにでも終わりはあるからね。

さて。
私は今終わりにしたい事ってあるかな。
うーん…直したい性格だったら、
いくらでも浮かんでくるなぁw

終わりにしたい事か…。

細々した事はいくらでも思い浮かぶんだけど,
クソつまらない人生で、
良い事なんて何一つ無いって思ってたけど…
改めて終わらせたい事って言われたら、
簡単には思い浮かばないものなんだね。

…そっか。
明日は少し頑張って生きてみようかな。
そんで、帰りに少し高いコンビニスイーツでも
買って帰ろうかな。




7/13/2024, 12:54:29 AM

「これまでずっと」中途半端に生きてきた。
でも、私が中途半端な人間になったのには、
それなりに理由だってある。
最初からどうしようもない人生にしたいと、
望んで生きてきたわけではない。

小学生低学年までは、それなりに夢もあった。
けれど勉強も運動も、何をやっても並以下だった。
母はすぐに弟や友達と比べて、不機嫌になっていた。
毎日のように「みっともない」と吐き捨てるように罵られた。
元々負けず嫌いな一面もあったと自覚してるけれど、
だからこそ努力をしようとは思えず、
諦めて、落ち込んで、塞ぎ込むばかりだった。
努力の回数分、どうせ最後には母が不機嫌になるだけだと分かっていたから。

中学では部活を3年間続けたけれど、
みんなより下手でも、全く上達しなくても、
努力して上達したいとは思わなかった。
ただただ惨めで恥ずかしいと思っていただけ。

自分はどうせ何をやってもダメだという考えは、
母親との関係が影響していたと思う。
母は、弟にだけ優しかった。
祖父母や父、そして弟が見ていない所で、
母は私にだけ冷たくし、暴力を振るった。

今では分かる。あれは虐待だったと。
しかし当時は、「弟をいじめた罰」というような
もっともらしい理由で虐待されていた為、
自分が悪い、自分は本当にひどい姉なんだと
思っていた。

母は私の味方ではないとハッキリ意識したのは、
小学3年の時、
クラスメイト数人から仲間外れにされた時。
あの頃は既に、どうせ母に相談したって、
「友達に嫌われているなんて、みっともない!」と
怒られるだけだろうと思い、助けを求めなかった。

中3で高校受験シーズンになっても塾は全くやる気が出ず、ただ時間を潰していた。
友達のマネして、自分のレベルに合ってない高校を
受験しようと思っていたけれど、
私立高校に合格した途端に受験勉強を全くしなくなった。私立高校の方が制服が可愛いかったから。
母は毎日のように、勉強してるのか!?と
部屋に怒鳴り込んで来たが、やる気は全く出なかった。


母に嫌味を言われ、小遣いをもらえなくなった私は、
高校3年間バイト三昧だった。
バイト代で常に財布が潤っていた私に、
母は益々嫌味を言うようになった。

そして私は、だんだん荒れていった。
万引き、タバコ、数々の校則違反。
その度に母に殴られたが、
ある時、階段の側で母と揉み合いになり、
私は、母を階段から下に突き落とそうとした。
母は必死で階段の手すりにしがみつき、
「お前は本当に恐ろしい子だよ!」と罵ったが、
その時から私への暴力はだんだん減っていった。
体力的に自分が母を追い越したと自覚した瞬間だった。
これでいつでも母の事を殺せるんだと思って、
本当に本当にワクワクした。
その思いは私の心の支えとなった。

それからはバイト先の大学生と取っ替え引っ替え付き合って、だんだん居心地が悪くなって辞めたり。
彼氏の家に転がり込んで、家に帰らなくなったり。
当時の私は恋愛に依存していたんだと思う。
男は私の事を認め、求め、褒め、必要としてくれる。
私が親からは与えてもらえなかった物を、
男は簡単に次々と与えてくれた。

母は狂ったように干渉し、人の机をあさり、
勝手に私の手帳や日記などを読み、
彼氏との待ち合わせ場所までやってきて、
無理矢理家に連れ戻されたりもした。


これが「みっともない娘」の学生時代の話。
次、高校卒業後のどうしようもない人生の話を
しようと思う。


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