架空

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「これまでずっと」中途半端に生きてきた。
でも、私が中途半端な人間になったのには、
それなりに理由だってある。
最初からどうしようもない人生にしたいと、
望んで生きてきたわけではない。

小学生低学年までは、それなりに夢もあった。
けれど勉強も運動も、何をやっても並以下だった。
母はすぐに弟や友達と比べて、不機嫌になっていた。
毎日のように「みっともない」と吐き捨てるように罵られた。
元々負けず嫌いな一面もあったと自覚してるけれど、
だからこそ努力をしようとは思えず、
諦めて、落ち込んで、塞ぎ込むばかりだった。
努力の回数分、どうせ最後には母が不機嫌になるだけだと分かっていたから。

中学では部活を3年間続けたけれど、
みんなより下手でも、全く上達しなくても、
努力して上達したいとは思わなかった。
ただただ惨めで恥ずかしいと思っていただけ。

自分はどうせ何をやってもダメだという考えは、
母親との関係が影響していたと思う。
母は、弟にだけ優しかった。
祖父母や父、そして弟が見ていない所で、
母は私にだけ冷たくし、暴力を振るった。

今では分かる。あれは虐待だったと。
しかし当時は、「弟をいじめた罰」というような
もっともらしい理由で虐待されていた為、
自分が悪い、自分は本当にひどい姉なんだと
思っていた。

母は私の味方ではないとハッキリ意識したのは、
小学3年の時、
クラスメイト数人から仲間外れにされた時。
あの頃は既に、どうせ母に相談したって、
「友達に嫌われているなんて、みっともない!」と
怒られるだけだろうと思い、助けを求めなかった。

中3で高校受験シーズンになっても塾は全くやる気が出ず、ただ時間を潰していた。
友達のマネして、自分のレベルに合ってない高校を
受験しようと思っていたけれど、
私立高校に合格した途端に受験勉強を全くしなくなった。私立高校の方が制服が可愛いかったから。
母は毎日のように、勉強してるのか!?と
部屋に怒鳴り込んで来たが、やる気は全く出なかった。


母に嫌味を言われ、小遣いをもらえなくなった私は、
高校3年間バイト三昧だった。
バイト代で常に財布が潤っていた私に、
母は益々嫌味を言うようになった。

そして私は、だんだん荒れていった。
万引き、タバコ、数々の校則違反。
その度に母に殴られたが、
ある時、階段の側で母と揉み合いになり、
私は、母を階段から下に突き落とそうとした。
母は必死で階段の手すりにしがみつき、
「お前は本当に恐ろしい子だよ!」と罵ったが、
その時から私への暴力はだんだん減っていった。
体力的に自分が母を追い越したと自覚した瞬間だった。
これでいつでも母の事を殺せるんだと思って、
本当に本当にワクワクした。
その思いは私の心の支えとなった。

それからはバイト先の大学生と取っ替え引っ替え付き合って、だんだん居心地が悪くなって辞めたり。
彼氏の家に転がり込んで、家に帰らなくなったり。
当時の私は恋愛に依存していたんだと思う。
男は私の事を認め、求め、褒め、必要としてくれる。
私が親からは与えてもらえなかった物を、
男は簡単に次々と与えてくれた。

母は狂ったように干渉し、人の机をあさり、
勝手に私の手帳や日記などを読み、
彼氏との待ち合わせ場所までやってきて、
無理矢理家に連れ戻されたりもした。


これが「みっともない娘」の学生時代の話。
次、高校卒業後のどうしようもない人生の話を
しようと思う。


7/13/2024, 12:54:29 AM