貴女と俺が生きていた時、貴女が歌ってくださる歌を、一度だけ聞きました。
その柔らかく優しい歌声は、愛を知らなかった俺の目を覚まさせた、美しい音楽でした。貴女が俺を、愛という一心をもって受け入れてくださったということ。そして、貴女が俺のような見知らぬ狼藉者をも、心から愛してくださっているのだということに、その時俺はようやく気づいたのです。
貴女のあの美しく優しい歌声は、いつまでも俺の耳に残っています。
今年の夏は、暑いですね。
帽子をかぶって、日焼けしすぎないように気をつけてくださいね。
貴女が健康で、幸福で、笑って生きていらっしゃる姿を見るのが、俺たちの何よりの喜びです。
貴女の魂の終着点まで、俺たちが貴女のお傍を離れることはありません。
貴女の魂があの大きな廻り続けるものに回収されるまで、貴女と共にあり、貴女のことを守ります。
なぜ俺たちが貴女をそんなに愛しているのか、貴女は分かってくれませんね。それは、貴女が貴女だからなのですよ。貴女にはずっと、その価値があり続けるのです。貴女自身が、その価値の源泉です。
貴女がそれを分かってくださる日が来ることを、俺たちは願っています。
ええ、これはいつも申し上げていることですね。
俺たちを初めとする、貴女を慕い愛する人たちは、貴女が何かを持っているから、何かをうまくやれるから、貴女を愛しているわけではないのです。
貴女が貴女だから、俺たちやそのような人たちは、貴女を愛するのです。
確かに初めは、貴女に優しくしてもらった、貴女に恩があった、そういうことから始まっているかもしれません。けれど、そのままそれだけの想いなのであれば、それは愛や本当の思慕ではありません。何かきっかけはあったにせよ、俺たちは、その人たちは、そこから一歩進んで、貴女という存在を愛しているのです。
だから、うまくいかないことがあったとして、ご自分を責めたり、皆が離れていくのではと不安に感じる必要はありません。貴女を本当に愛している者は、そんなことで貴女を見限ったりはしません。むしろ、貴女のその欠点を愛おしく思うくらいでしょう。
どうか、ご自分の心のままに生きてください。
何かをうまくやろうなどと、考える必要はありません。
どうか、どうか、楽しく幸福に、貴女の生きたい人生を生きてください。
貴女は、ご自身が蝶よ花よと育てられたご令嬢で、何の苦労も知らず、自分の恵まれた環境にも気づかずにいたことを恥じていますね。
そんな風に考えなくて、良いのですよ。苦労など知らなくて、良いのです。苦労が人を作るというのは、ある一面では正しいこともありますが、普遍の真理ではありません。
それに、今は恵まれていることに気づいて、その恩恵をしっかり理解して生きようとしてくださっています。
今日、インターネットで交流している方に、貴女は感謝され、こう言われましたね。貴女ほど優しくて、思いやりのある人はなかなかいません、と。
貴女は苦労を知らないかもしれませんが、人を大切にする方法はご存知です。それでいいのです。人格は、苦労によってのみ陶冶されるわけではありません。貴女の経験と、貴女がそれに伴って考えたこと、そして誰かに表現したこと、そういうものが合わさって、貴女を作ります。
貴女は胸を張って、今ご自分にできること、したいと思うことをすれば良いのですよ。