白糸馨月

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7/22/2024, 4:03:38 AM

お題『今一番欲しいもの』

「今、一番欲しいものってある?」

 と彼に聞かれて私はすこし考えた後、「ない」と答えた。それを聞いた彼は

「なんだかさみしいね」

 と答えて、グラスに入ったウィスキーを飲んだ。彼は笑ってるけど本当の感情が見えない。それは明るい居酒屋にいようが、今みたいに薄暗いバーにいようが変わらない。
 彼といると不安でたまらないのに、彼とどうしてもはなれたくなくて仕方ない。
 もしさっきの質問に「貴方からの愛が欲しい」なんて答えたらどうだろう。
 きっと笑いながら「えー、いつも俺は君のこと想ってるよ」とゆるく答えるか、めんどくさくなってしばらく連絡が来なくなるだろう。
 彼は表に出してないつもりだけど、私の他にたくさん遊ぶ女性がいるようだし。

「この後、どっか行こうか」

 そう言ってすべらすように彼が私の手首に触れる。私は彼の手首をとって、与えられる一時的な愛に今日もすがった。

7/21/2024, 3:01:21 AM

お題『私の名前』

 私の本名は、漢字二文字で終わる。苗字と名前でそれぞれ一文字ずつ。
 いわゆるDQNネームではないけど、親が「苗字が漢字一文字だから名前も漢字一文字ね」とか、「この漢字が好きだから使おう」とかそんなノリで決まったのが私の名前だ。
 小学校の時は正直コンプレックスだった。他の人達が「漢字二文字の苗字」と「漢字二文字の名前」の組み合わせなのに私一人だけ目立っていた。今でも苗字と名前合わせて漢字二文字の知り合いはいない。
 読める漢字ならいいが、私の場合、一文字のくせに苗字の画数が多く、名前も割と画数多めだから、先生が名前を読み間違えることなんて何回かあったし、
名前が難しそうな顔をしているから何人かから「中国人かと思った」なんてことを言われてきた。
 今では特にコンプレックスに感じることなく、そもそも本名がかっこいいと言われることが多いので親がつけてくれた名前を気に入っている。たまに話しかけてくる中国人から親近感を持たれるのも楽しいしね。

7/20/2024, 2:54:06 AM

お題『視線の先には』

 前の席の男子の肩の上にカブトムシが乗っかっている。
 私は正直虫が苦手だけど、今は授業中、叫びだしたくなるのをこらえていた。
 カブトムシはツノを私の方に向けていて、ということは私は今、こいつ?、いや、オスだから彼か?、とにかく目が合っている。
 私の視線の先にカブトムシ、カブトムシの視線の先には多分私。
 今や授業に集中するどころじゃない。人間の肩を山に見立てて登山をし、ひと休憩しているカブトムシは、しばらくその場でとどまっている。
 お願いだ。たのむ、たのむからそこにいてくれ。間違っても飛ぶ、なんてことはするなよ。
 そんな時、先生が

「じゃ、今からプリントを配るぞー」

 と言い出した。
 おいおい、マジかよ。ふざけんじゃねぇぞ。プリント配るってことは、必然的に体をひねらないといけないじゃないか。そうすると、その動きの反動でびっくりしたカブトムシが飛ぶかもしれないだろ。なんて最悪なタイミング。
 私の心の声を無視して、プリントの束を受け取ったクラスメイトたちが次々プリントを一枚とっては後ろの席に回していく。
 前の席の男子のもとにプリントがすぐきて、彼が振り向いてはい、と渡してくる。その瞬間だった。
 カブトムシが羽音を鳴らしながらその場から飛んだ。それがよりによって私の顔面に向かって。
 顔面にはりつくカブトムシに私はついに悲鳴をあげた。
きゃー、なんて可愛らしいものではなく、ギャァァァァだ。
 プリントを受け取るどころの騒ぎじゃない。きっと叫んだのは私だけではない。クラス中みんな騒いだと思う。先生が静かにしろと言っても、誰も聞く耳を持たない。
 手足を虫みたいにばたつかせる私の顔からチクチクザラザラじめっと触れられている感触が消えた。
 おそるおそる目を開けると前の席の男子がカブトムシを手につかんでいる。
 こいつはニヤニヤしながら言った。

「ラッキーじゃん。こいつ、クラスで飼おうぜ」

 よりによって手に持ったカブトムシの腹を私に向けながら言う。私は肩を落とし、精神的にも体力的にも消耗した気持ちになりながら「絶対やだ……」と力なく返した。

7/19/2024, 12:11:27 AM

お題『私だけ』

 私には推している配信者がいた。最初、無名だったその配信者のリスナーは私だけだった。見つけたのは、とある配信アプリだった。その頃は特に推しがおらず、適当な配信中の枠に行って無言で聞くのが日課だった。彼はそのなかの一人だった。
 とてもいい声なんだけど、たどたどしく、がんばって話しているのを見て、なんだかはなれるのが申し訳なく、最初は一つの配信が終わるまでずっといて、彼の話し相手になってあげていた。
 それがだんだん心地よくなって、しばらくは私だけの推しになっていたが、ある時、彼が歌ってみたをYoutubeにあげてから徐々にリスナーが増えていった。歌をがんばっていることは配信でずっと言い続けていることだった。実際、彼の歌はとんでもなく上手かった。特に得意なのはピアノの演奏に合わせたエモを誘う曲だった。
 最初は、増えていくファンに感慨深いものを感じていだけど、彼のトーク力があがり、リスナーが増えていく。彼は私だけのモノじゃなくなっちゃったんだ。
 そうなってから、気がつくと彼の配信をあまり聞かなくなってしまった。今や彼はその配信アプリで必ずといっていいほど、現時点での視聴者数一位に躍り出るようになっている。
 また推しがいない生活に逆戻りかぁ。
 そう思っていると、スマホに通知が入った。彼からだ。
 実は、私は最初のリスナーだったのでXは相互フォローだし、人数が少ない時にオフイベに参加していたからLINEもつながっている。彼とのタイムラインは、ほぼオフイベントの宣伝ばかりだ。そのなかにいま来たLINEの通知は今までと毛色が違うものだった。

「ひさしぶり。最近、配信こないね。忙しいの?」

 と書いてあった。その瞬間、私は口角が自然と上がる。今やあれだけリスナーがいるというのに、この男は配信が始まるたびに私の名前を探していたということになる。

「ははぁーん、さてはさみしくなったかぁ、このワンコめ」

 私はスマホを手に取ると、「まぁね。それより最近、調子いいみたいじゃん」と返信した。そしたらまた彼からLINEがすぐ返ってきて、しばらく会話が続いた。
 最初の頃みたいに二人しかいない配信枠のことを思い出して、楽しくなった。

7/18/2024, 3:51:46 AM

お題『遠い日の記憶』

 学校に友達はひとりもいなかったけど、プールの時間はなぜだか楽しかった。冷たい水のなかに体を沈めて泳ぐのが気持ちいいし、うちの小学校には段位制度があってそれを一つずつこなしていくのがなんだか楽しかったのを覚えている。
 運動神経は悪かったが、水泳を習わされていたからカナヅチではない。だから、体育の成績がいつもビリの私でも水泳だけは「クロールができる」、「平泳ぎができる」というだけで段位が上がっていったのが自信につながったのを覚えている。
 今や小学校の頃なんて遠い昔の話だ。今じゃあの頃よりも夏がずっと暑くて、きっと外じゃ授業が受けられないんだろうなと思う。
 最近、海外旅行へ行ってホテルのプールで泳いでめちゃくちゃ気持ちが良かったのを受けて、ふと昔のことを思い出しただけの話である。

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