白糸馨月

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お題『視線の先には』

 前の席の男子の肩の上にカブトムシが乗っかっている。
 私は正直虫が苦手だけど、今は授業中、叫びだしたくなるのをこらえていた。
 カブトムシはツノを私の方に向けていて、ということは私は今、こいつ?、いや、オスだから彼か?、とにかく目が合っている。
 私の視線の先にカブトムシ、カブトムシの視線の先には多分私。
 今や授業に集中するどころじゃない。人間の肩を山に見立てて登山をし、ひと休憩しているカブトムシは、しばらくその場でとどまっている。
 お願いだ。たのむ、たのむからそこにいてくれ。間違っても飛ぶ、なんてことはするなよ。
 そんな時、先生が

「じゃ、今からプリントを配るぞー」

 と言い出した。
 おいおい、マジかよ。ふざけんじゃねぇぞ。プリント配るってことは、必然的に体をひねらないといけないじゃないか。そうすると、その動きの反動でびっくりしたカブトムシが飛ぶかもしれないだろ。なんて最悪なタイミング。
 私の心の声を無視して、プリントの束を受け取ったクラスメイトたちが次々プリントを一枚とっては後ろの席に回していく。
 前の席の男子のもとにプリントがすぐきて、彼が振り向いてはい、と渡してくる。その瞬間だった。
 カブトムシが羽音を鳴らしながらその場から飛んだ。それがよりによって私の顔面に向かって。
 顔面にはりつくカブトムシに私はついに悲鳴をあげた。
きゃー、なんて可愛らしいものではなく、ギャァァァァだ。
 プリントを受け取るどころの騒ぎじゃない。きっと叫んだのは私だけではない。クラス中みんな騒いだと思う。先生が静かにしろと言っても、誰も聞く耳を持たない。
 手足を虫みたいにばたつかせる私の顔からチクチクザラザラじめっと触れられている感触が消えた。
 おそるおそる目を開けると前の席の男子がカブトムシを手につかんでいる。
 こいつはニヤニヤしながら言った。

「ラッキーじゃん。こいつ、クラスで飼おうぜ」

 よりによって手に持ったカブトムシの腹を私に向けながら言う。私は肩を落とし、精神的にも体力的にも消耗した気持ちになりながら「絶対やだ……」と力なく返した。

7/20/2024, 2:54:06 AM