「店長、この本ってなんか話題だったりします?」
ここの本屋で働き始めて2ヶ月が経つ頃、やたらと売れる本に気づいた。
「ん?ああ。それ、どこに並べてあったかな?」
「ここです」
私はレジ前の角を指差した。
「そうかい。よく売れるのは何時頃だい?」
え?あ、そういえば。
「お昼の…2時から3時頃です!私がいつもレジに入ってるんで」
そういえばお昼の休憩を明けて眠くなる時間帯ばかりだ。いつもお客さんから午睡を阻害され…あいや、眠気を逸らしてくれるからよく覚えてるのかもしれない。
「いまは何月だい?」
は?何月?別にこれ歳時記に関係した本じゃないでしょ。私が手にしているのは『あの日との対話が明日を拓く』という宗教なのか自己啓発なのか怪しげな本だ。
「11月です」
店長は口の端を上げてニヒルな笑みを浮かべる。
「そうかい」
そう言うと店長は店の奥へと歩いて行った。「じきにわかるよ」という言葉を残して。
この本屋はチェーンではなく、駅前商店街の一角に古くからある独立経営の新刊書店だ。廃業が相次ぐ出版業界において粘り強く生き残っている。歴史も古いのだろうけれど、店内はさすがにボロ…とても古めかしい色褪せた棚が並んでいる。
「うー重たい!」
午前中は配送業者から届いた本を並べる。今日は新刊の発売日ではないから書籍は少ないが、雑誌は毎日山のように入荷する。そしてやたらと重い。
朝のうちお客さんはまばらで、店頭の立ち読みを数に入れなければ全く来ない日もある。言われてみれば例の本も見向きもされてない。
会社員がお昼休みになる12時台はちょっと忙しい。ビジネス系の雑誌や話題の書籍がちょっと動く。遅めのお昼休憩をいただいて午後。さあ眠くなってくるぞ。
建物の造りなんだろうけど、高い位置に明かり取りの窓がある。店内は自然光で明るくなるが、本にとってはいい環境ではない気がする。そして私にとっても。
あー眩しい。レジに入っていると午後の日差しがちょうど目に入る。おかげで眠気が妨げられる。いくら客が少なくてもレジに突っ伏して仮眠を取るわけにはいかない。
そうこうしていると迷い込んだお客さんがレジの前に立つ。この時間のお客さんは皆一様にゆっくりとレジの前に歩いてきて『あの日との対話が明日を拓く』をじっと見つめる。そして導かれるように手に取り、ほわっとした顔で私に差し出してくるのだ。
「この本、お願いします」
やはりこの本に何かあるのだろうか。不気味に思いながら愛想よくお会計を進める。すると一人、また一人とレジの前のコーナーに吸い寄せられてくる。
そして毎日、その現象は15時を過ぎるとパタリと止むのだ。
「ヤナギさん、ちょっといいかな?」
レジから客が引いたタイミングで店長から声をかけられた。店頭の雑誌のあたりだ。歩み寄ると
「ここの週刊誌、まだ裏に在庫あったでしょう。少なくなってるから補充しておいて」
「あ、はい。わかりました」
それだけで呼ばれたのか、とは思わない。店長は足を悪くしていた。私が雇われているのはこのためだ。
「それから、あなたの疑問はもうじき晴れるよ」
またニヒルな笑みを浮かべた。はぁ。予言めいた店長の言葉に、私は困ったような顔を返したが、内心ではわくわくしていた。怪現象はいまも続いている。そして店長はそのカラクリを把握している。
振り返ってレジに向かおうとしたそのとき。
「ああ、なんだ、そんなことか」
店頭からレジの方を見遣ると、明かり取りから一筋の光が降り注いでいるのが見えた。その光は一直線に、平積みにされた『あの日との対話が明日を拓く』を照らしていた。
「秋ってさぁ、もの悲しいよね」
定番を超えてもはや伝統とも言える秋についての考察をミサトが放ったのは、オール明けの朝日を見ながらだった。
暇な仲間で朝まで飲んで、始発を待つ駅のホームで哀愁を感じるって、大学生やってるなぁオレら。そんな思いに浸れる時間はあと半年もない。青春なのか。そして社会に出れば青春が終わるから、その一歩手前の秋。
「黄土色の秋、みたいなものか」
「え?」
「あ、いや、なんでもない」
上手くもない変な造語を口走ってしまった。徹夜明けの脳はバグだらけだ。
「もう一年くらい、大学行けないかなぁ」
今度はミサトが口走る。
「行く気がない言い方だな」
「だって最初の一年は行きたくても行けなかったし」
オレたちの年代はコロナ禍にかすってキャンパスライフを一年棒に振っていた。その期間は友達もできてないし、遊びにも行けなかった。
「友達がいて、バイトもできて、大学に行かないのと、なんもなくて大学に行けないのは全然違うじゃん。あれは軟禁だよ。アウンサンスーチーさんだよ」
「やめとけ」
あの方はいま刑務所にいる。
もっと遊びたいし、もっと騒ぎたいし、昼まで寝ていたい。でもそんな一日を過ごす度に、こんな朝はいつも虚しい。この日々で何か残るのか。
「なあ、ミサトは何かを成し遂げたいと思ったことはない?」
「んぁ?なにそれ?」
もしかしたら、いまが秋なのかもしれない。目標もなく、だらだらと生きて、あと一年、あと半年、あと十分だけこのまま寝かせて、と。それは青春じゃない。終わったあとにもの悲しさが残るだけの秋だ。どうせなら一生青春してたい。
「作るんだよ、オレたちで」
「へ?」
「オレたちで、一年どころか、十年、百年も続けばいいって思える世の中を!」
そして彼らは軍事クーデターを起こし、時の総理大臣を軟禁した。
自分の目に映る世の中は鏡である。何故か。人間は自分という鏡を通してしか社会を見られないからだ。ある一つのニュースが誰かにとって飛び上がるほど嬉しいことでも、同じニュースが誰かを深く悲しませていることもある。
その人の境遇や体調、感じ方によって、世界の見え方は変わる。だから私が見ている世界とあなたが見ている世界は少し違うのかもしれません。
なんだろう。昨日から様子がおかしい。違和感を持ったまま一日を過ごしてみたけど、まだ明確な「違い」を断定できない。その状態がもどかしく、居心地が悪い。
いま私は教室で席に着き朝のホームルームを待っている。この時点で違和感は生まれている。朝起きて顔洗ってご飯食べて歯を磨いて髪と顔整えて学校向かって何人かとおはようって言い合って学校着いてお手洗い行って席に着いて。何度違和感を持った?何度も。
落ち着こう。先生が来る前にいったんミラーを見ておこう。コンパクトミラーを取り出して自分の顔を確認する。
これだ。顔が違う。…いやいや、誰かと入れ替わってるとか急に美人になってるとかじゃない。なんかいい感じだ。たぶんどこか…
「オガタ、おいオガタ!」
前腕をつかまれて驚いて顔を上げる。
「点呼、名前呼ばれてるよ」
「ああ、はい!」
すでに担任が前にいて、ホームルームが始まっているようだ。
「なんだオガタ、今日元気いいな!」
うわキモ。これギリセクハラか? なんでいつも関心ない担任がそんなこと言うの?しかも点呼無視してぼーっとしてた私に?吐きそう。
「なんか雰囲気変わった?」
お昼休み。女友達のカナに言われて「それだ!」と気づいた。「なんか雰囲気変わった」だ。一言一句無駄なくこの状態をピッタリ言い当てている。確実に言いたいことはあるのに明文化できないこの感じ。
「大人になったってことじゃない?素直に喜んだら?これから男子にモテモテかもよ?」
いやいや、冗談じゃない。そんなの望んでないよ。
違和感の正体を言葉にしてしまうともう逃れられない。目が開いてしまった。他人からの視線がわかる。目を伏せていても追ってくる。廊下を歩くだけで吐きそうになる。
自意識過剰が原因じゃないのは自分に自覚がないからわかる。担任にも友達にも気づかれたということが証明だ。地味に質素に目立たずにを心掛けて生きてきたから、見られないことが当たり前だと思ってた。
世の美人はこんな視線に耐えてきたのか?これを力に変えるインフルエンサーなんて理解が及ばない。精神を蝕まれて当然だ。自覚はないけど鏡を見ればわかる。頼んでないのに勝手にかけられたシンデレラの魔法。
いたたまれずにお手洗いに駆け込む。蛇口を全開までひねって一心不乱に顔を洗った。
顔を上げると、鏡の中の私がニヤっと笑った。私は笑っていないのに、私でさえ魅せられそうな笑顔だ。
鏡の中の私は、もう私の世界が変わってしまったと告げていた。
眠りにつく前に、やっておかなきゃいけないことって、たくさんありますよね。あなたはどれくらいできていますか?
これができているかどうかで、次の日の自分がまったく変わってしまうってハンミカさんも言っていました。
まずはお風呂に入る。バスルームは身体を浄めるとともに心のリセットもできます。スキンケアはしっかり。忙しくてもシャワーだけではいけません。必ず湯船に浸かること。お湯で身体を満たすことは胎児に戻るリハーサルにもなりますから。
お風呂から上がったら髪を乾かしながら手帳と日記のチェック。この日を振り返ることが明日につながります。一日の行動を振り返って何をしたか、何に感動したか、次は何を目標にするかを思いつく限り書き記しておきましょう。紙でもPCでもなんでも構いません。神様はどんな媒体でもあなたのがんばりを見てくれています。
それから!これがなかなかできないことなの。あなたの大切な家族を思い浮かべながら、通帳、印鑑、保険、銀行口座、家の権利書、公共料金、税金関係、遺言書、諸々すべてが書かれたエンディングノートを、ちゃんと探せば見つかる場所に隠しておくようにしてください。
永い眠りはいつ訪れるかわからないから。
ぜんぶ済んだら、さあ、安心しておやすみなさい。永い永い眠りから覚めた次の日は、バスルームから出た時のように清らかで温かいぬくもりに包まれていることでしょう。
新しいお母さんの手の中で。
C「ねえ、永遠ってどういうことだと思う?」
雑誌コーナーを眺めていたチー太がつぶやく。漫画雑誌の表紙に『永遠にツリーレイン』の文字がきらめく。
B「また哲学かよ。深夜のテンションでやることじゃねぇだろ」
ベー助はいつもの通りダウナーだ。
A「いいね、面白そう。どうせ朝まで長いよ」
あるピーは抽象的な話になるとノリノリだ。
B「てかなんで深夜のコンビニバイトに3人もシフト入れてんだよ。店長アタオカかよ」
A「このあと納品すごいらしいよ。ほら、ハロウィン終わったからもうクリスマス」
C「やだねー、イブの深夜入ったら地獄の人間模様よ。あれ見たらさすがに主に祈りたくなるね」
A「それよりほら、永遠の話。永遠って何?」
B「今だろ。深夜のバイト。暇すぎて永遠に終わらない」
C「言えてる。」
A「よく『永遠の命を手に入れる』みたいな話、あるじゃん」
B「こいつ話聞かねぇな」
C「不老不死の薬みたいなやつね」
A「そうそう不老不死。でも、それこそ星にも寿命があるってわかってきてるじゃない」
C「あー何十億年?それはもう永遠で良くない?さすがに飽きるくない?」
B「火星に移住とかもあるだろ。金持ちなら」
A「星の寿命って恒星ベースで言ってるから。太陽なくなったら太陽系は終わり」
B「なんかこいつオレに厳しくない?」
チー太は無邪気に笑う。
C「だったら、人が思い描く『永遠』は有限ってこと?不老不死でも地球がなくなったらさすがに生きられないよね?」
A「生きてる人間についてはそういうことになるね。いくら不老不死を望んでも、あと数十億年で永遠の命はおしまい」
B「またさっきのユートピアの話か?」
A「そう、不老不死を望んでも人の死は避けられない。だから人は死後の世界を作ったのかもしれないね」
C「あとは、観念的な話だけど『永遠の愛』なんてのもあるよね」
A「そう!まさに永遠の概念は観念とか思念とかの分野でこそ語られるべきものなんだよ」
「おつかれさまでーす」
入り口を見ると店の前に納品トラックが止まっている。ベー助はこの議論をようやく終えられると安堵した。
台車に山積みにされたオリコンとともに配送業者が現れた。
「これがあと20台来ます。今日は大量ですよ」
B「…このクリスマスの棚替え、今から全部やんのか?」
C「こりゃ永遠に終わらないね」