・紅茶の香り
君が着けてた甘酸っぱい紅茶の香水。
今ならあれが本物の紅茶とは似ても似つかない香りだと言うことはよく分かる。
それでも僕にとっての紅茶の香りは、甘くて可愛らしくてなのにどこか儚げな香りなんだと印象付けられてしまった。
いい加減こんな記憶を無くしてしまいたい僕は、本物の紅茶で上書きするように今日もストレートティーを頼む。
それでもどこか物足りなさと違和感を覚えてしまう僕を、いつまでも消えてくれない思い出が小馬鹿にしてくるのだった。
・行かないで
行かないで、と声に出して伝えてしまったら今まで我慢してきた事が全て溢れてしまいそうで怖かった。
だから別れが来るまでこの気持ちは1人で抱えておこう。
そうすればきっと、相手を悩ませることは無いはずだから。
でももし伝えたら?
伝えて、相手も同じことを願っていたら?
もしそうだったら自分はこの世で1番幸せになれるような気がするんだ。
……だとしても、相手に伝える日が来る事は一生来ないんだろうなぁ。
・衣替え
店のドアが開く。顔をあげるといつもと雰囲気の違う彼女がそこに居た。
目を凝らして見ていると少し不安そうな表情を浮かべて身構えられてしまった。
「アタシ、また何かしました……!?」
「いや。いつもと雰囲気が違うと思ってただけだ」
「えぇ?なんでしょう、特に何か変わった訳じゃ……あ!」
突如、両腕を広げる彼女。
「多分これですよ!ほら、カーディガン!」
「カーディガン……ああ。そうか。もうそんな時期か」
「そうですよ!すっかり秋になっちゃいましたもん」
衣替えした彼女を見つめ、すぎた季節を振り返る。
彼女と出会ってからもうこんなに過ごしたのかと思うと感慨深い。
「あのぉ……本当に私何もしてないんですよね……?」
「今回はしていない。それより早くお店の支度を頼む」
「あ、そうだった……!!」
忙しなく動く彼女を見守り、今日も来てくれた平穏に心の中で小さく安堵するのだった。
・声が枯れるまで
うるさいくらいに大声で泣き喚いてた。
誰か一人には届くと思ってたから。
でも私一人が傷ついただけで現状は何も変わらなかった。
心も喉も傷つけて、それで終わり。
奇跡の大逆転もハッピーエンドもここには無かったんだね。
・始まりはいつも
目があった。ただそれだけ。本当にそれだけで私は恋に落ちた。
もっと相手を知るべきだ、とか。
惚れっぽい人は軽い人だ、とか。
それらしい事を言われそうだし私もそう思ってしまう時はある。
それでも心が動いちゃった以上はこれを「恋」と認識するほか無いのだ。
例えそれが分かりきった結末を迎えたとしても、私はこの浅はかな恋を大事にしてしまうのだろう。