・だから、1人でいたい。
もうこれ以上思い出を増やしたくないんです。
私にこれを抱えていく勇気はないんです。
喜びや楽しさより、いずれ重荷になってしまう未来が怖いんです。
お願いだからどうか1人にしておいて。
きっとその方が幸せだから。
きっとその方が耐えられるから。
惨めでも、寂しくても、辛くても、それでもきっと1人でいることに安心するだろうから。
・澄んだ瞳
新入社員たちの生き生きとした表情から僅かに目を逸らす。
もう何度目かの研修だが未だに真っ直ぐ見ることが出来ない。
別に年齢にコンプレックスがある訳じゃないし、実は弊社がブラックで罪悪感が……なんて訳でも無く。
ただどうしても苦手意識があったのだ。
ある日、そんな風に思っていたことをずっとお世話になっている上司に零したらこんな返事が返ってきた。
「あれ、実は俺も苦手でさ。新入社員の時のお前の顔も正直あんま見れなかった」
「えっ、何故ですか?」
「あー……要は恥ずかしいんだよ。俺みたいなフツーのオッサンを、まるで聖人のような目で見てくるだろ?それがどうもなぁ」
頬をかきながら答える上司の表情は、困ったようで、それでいて嬉しそうな顔だった。
そうか。
彼らは僕たちを1人の人として見ていなかったのか。それなら苦手意識が強くなるのも頷けてしまう。
「まぁ、なんだ。苦手なのはしょーがないが、目はちゃんと見てあげろよ。いずれ向こうも同じ人間だって気づいてくれるからさ」
上司はそう言って僕に缶コーヒーを渡すと仕事に戻って行った。
次の日、僕は今日も指導者として研修会に参加した。
相変わらず彼らの眼差しは苦手だが今度はちゃんと顔を見るように意識した。
僕はこの研修で、君たち新入社員と同じ人間として、人間が無事に仕事を出来ている事を少しでも教えられるよう頑張るつもりだ。
・嵐がこようとも
確かに空は青々としていて波も穏やかだ。
きっと誰が見てもこの景色を長く留めておきたいと願うだろう。
それでも私はこの綺麗な大海原に風を吹きこまなければならない。
誰かが止めろと怒鳴っても。誰かが風を抑えても。誰かが波に飲まれても。二度とこの場所に人が来れなくなろうとも。
私はここに風を吹き続ける。
なぜ大海原がこうも穏やかだったのか、その身をもって知るべきだ。
・お祭り
部屋に持ち込まれた母親お手製の焼きそば。
景品代わりにプレゼントされたプラスチックのヨーヨー。
今日は特別、と先生が作ってくれたイチゴ味のかき氷。
妹がテーブルに転がした小さな飴玉たちはリンゴ飴の代わりらしい。
窓から見える景色はいつもと変わらず。
それでも家族が用意してくれた小さなお祭り会場が、今まで参加したどのお祭りよりも楽しかった。
どうかこの思い出が明日を生きるお守りになりますように。
・神様が舞い降りてきて、こう言った。
「それ、私は好きだよ」
くしゃくしゃに丸めた画用紙を指さして君は言う。
僕にとってこれはたった今ゴミになったのに。
それでも君はこのゴミを好きだと言った。
「勿体ないし、せっかくだから貰っていい?」
くしゃくしゃの画用紙を広げながら聞いてきた君に、僕はしどろもどろになりながら静かに頷く。
彼女は僕の返事を聞くと嬉しそうに飛び跳ね、そのまま画用紙をカバンの中に丁寧にしまい込んだ。
「貴方の絵、とっても好きなんだ」
「えっ……ど、どこが?線は歪んでるし色彩のバランスも悪いのに」
「そういうのよく分からないや!単に貴方の絵が好きなだけだよ」
はじめてだった。
技術じゃなくて、僕の書いた絵そのものを好きだと言ってくれる人が。
それが彼女にとってなんて事ない言葉だったのかもしれない。それでも僕にとっては救いの言葉のように思えた。
なんだか少しだけ心が晴れやかになった気がして、思わず笑みがこぼれる。
そんな僕の様子を彼女は不思議そうに見つめていた。