「やるせない気持ち」
トポポポポ…流れていく。流されていく。さまざまな液体が。
カシャカシャ…カッカッカッ。
一方、ビニール袋に溜まっていくのは、いろんな要素が混じり合ったべったりもったりとしたなにか。
ああ…これは軽井沢旅行でおみやげに買ったアボカド入りのタルタルソース…あんまり美味しいから、もったいぶってとっておいたんだっけ…。
…こっちは、いつもポン酢だからたまにはと思って買ったゴマだれ…結局1度しか使わなかったなあ……。
はっ…!こ、これはお中元でもらった野菜ジュースの残りじゃん…まだ残ってたんかこれ…体にはいいかもしれんけど、味はイマイチだったんだよなあ……。
賞味期限が切れた冷蔵庫の肥やしたちを、さまざまな思い出を脳裏に蘇らせながら、罪悪感混じりのやるせない気持ちで流していく。
ごめんなさいごめんなさい。
「海へ」
海が見たい。唐突にそう思った。
乗客もまばらな午前10時過ぎの下りの電車。天気は晴れ。私はうっかりすっかり寝坊して、もはや急ぐこともなく悠々と、三時間目の授業を目指し学校に向かっているところだった。
この前、夕飯どきのテレビでみた海沿いの路面電車を思い出す。海と並行して走る線路、ホームからすぐのところに見える海がキラキラして見えた。
いくつか電車を乗り換えたら、2時間かからずにたどり着けるはずだ。
そう思ったらもうわくわくが止まらない。思いつきで行動するのは楽しい。そういう性質なのだ。
とは言ってもビビりなのでたいしたことはできないが…。
しかしながら今日のこれは、自分にしてはなかなか思い切った案だと思う。
学校が嫌いなわけではない。勉強は好きでも嫌いでもないが友達もいて、それなりに楽しく学生生活を過ごしている。
それでも、こんな天気の良い日に教室で眠気に耐えてノートをとるよりは、だいぶすてきな一日になる予感がする。
そんなことを考えている間に、本来の降車駅に着いた。プシューと音をたててドアが開く。
迷いが生じる。まだ今なら日常に引き返すことができる。何食わぬ顔で、寝坊しちゃった〜なんて言って教室に入るのだ。足元がそわそわする。
プシュー。
ドアが閉まります。
持ちこたえた。
ドアの開放時間がいつもよりもだいぶ長く感じた。
まだそんなに長くは生きていないが、やらなかった後悔よりやってしまった後悔の方がまだマシだということを知っている。人に害を与える類のことでなければね。
さて、ささやかな非日常を手に入れた私は向かう。海へと。
「裏返し」
ある日を境に洗濯物を裏返すのをやめた。
それまでも洗う時は、汚れ物カゴに放り込まれた状態のまま洗濯機にぶち込んでいたのだが、洗った洗濯物を干す際に裏返っていたものを戻していた。だが、唐突に気づいてしまったのだ。
これほど報われない行為はない。濡れた衣類を裏返すのはまったくもって煩わしいし、1枚1枚こまめに裏返したってたいして感謝もされない。裏返しのまま手元に戻って初めて、これまでの私の健気な努力に気づくのだ。
イライラして、服を裏返しのままカゴに入れるのやめて!なんて言ったって、どうせ効果があるのはせいぜい2~3日だろうし、お互いちょっと嫌な気持ちにもなるだろう。
だったら、自分で裏返しに脱いだものは自分で裏返して着てもらおう。そう開き直ったら少し気が楽になった。
そしてある日、SNSでアパレル小物メーカーのアカウントの投稿を見かけた。衣類は裏返しに洗って干した方が良いという内容のものだ。朗報だった。目の前がパァァッと明るくなった気がした。
これで大手を降って洗濯物を裏返しに干せる。もう誰にも文句は言わせない。
…少しだけ罪悪感を感じていたのだと思う。
洗濯物を裏返しのまま干すことに。
「鳥のように」
空を飛びたいと思ったことはもちろんある。ほとんどの人間はあるのではないかと思う。実際に聞いてまわったわけではないから知らんけど。
フワフワと気ままに浮いているのもよし、スパイさながらにビルからビルへと飛び移るのもよし、急いでいるときには障害物に邪魔されることなく最短距離を移動することもできてしまう。最高だ。
夢の中でもよく空を飛ぶ。なぜだか毎回平泳ぎスタイルだ。
宙を搔いてスイスイ進むのだが、実は私は水泳が得意ではない。浮きはするがなかなか前に進まないのだ。
そのせいなのかどうか分からないが、夢で空を飛ぶ際もなかなか前に進まなかったり、高く舞い上がれず低空飛行だったりする。
そして、その感覚がひどくリアルなのだ。
まるで、過去、実際に空を飛んだことがあるかのように。
鳥は、自分の飛びたい方向に進めているのだろうか?
それとも、行き先は風まかせなのだろうか?
いつか鳥のようにうまく飛べるようになってみたいものだね。
「さよならを言う前に」
さよならを言う前に、少しモジモジする。
まだ夕日の名残が残り、空の低い位置に色を持たない白い月が浮かんでいる。今日を終わりにするのには少し早い。今日の目的は果たしたけれど、もう少し一緒にいたい。くだらない話をして笑っていたい。
でも、私は時間的に余裕があるけれど、あの子は帰ってからやることがあるのかもしれない。明日のための支度があるのかもしれない。私のわがままで他人の時間を奪うわけにはいかない。
「それじゃあ、またね。気をつけて。」
できるだけ自然な笑顔を作ってそう言う。
地下鉄の駅に向かって歩き出すあの子の背中を見送る。しばらく歩いたその背中が、ふと立ち止まり振り返る。目が合うと、少し照れくさそうにあの子が言った。
「ね、もう少し時間ある?お茶しない?」
今度は作る必要もなく、自然な笑顔が自分の顔に浮かんだのが分かった。
「私もそう思ってた!」