眩しくて、目を閉じた
でも数秒後にはその先が気になっていた
眩しい、眩しいと思っているのは誰だ
私は酷く落ち着いた心境で、
眩しいな、でもだから何なのだろう
まるで平然と、思わず心の中で呟いた
目を開いて、その先を見ることにする
眩しい、しかし無理に瞑らなくても、私は自由なのだ
今を生きる
「自分には今しかない」
「今を生きれればそれでいい」
そんなセリフがいつも私の印象に残っている
今しかないってどういうことだろう
元々、人間には連続的な今しか無いはずだ
過去も未来も全部今だ、私にとってはそれが真実
今を生きるってどういうことだろう
「過去を生きる」とか「未来を生きる」とか言うけれど
人間は今以外を本当の意味で生きられるのだろうか
このセリフの中では、きっと「過去も未来も要らないから今だけ見つめて生きよう」というニュアンスだ
もしそうなら、私は納得しかねる
確かに過去も未来も存在しないのかもしれない
しかし、「今」以外から目を背けるのは違う
人間として逃げてはならない気がする、
逃げずに過去も未来も今も見つめ、背負って生きる
それが誠実な生き方だと思う
今を生きたい
【今回はかなりテーマが暗いこと、
自身の感情ベースに書き出したものなので、
感情移入しやすい方は読む際にご注意頂けると
嬉しく思います。ほんとに重いです|ω・`)スミマセン】
飛べ!飛んでしまえばいい!
1人。布団の中、薄あかりに照らされた
ベットサイドのカーテンを、苦し紛れに見つめる。
飛ぶ勇気なんてない、でもそれくらい惨めなのだ。
―情けない。
でも、情けないことを知っていて勇気の出ない自分は、もっと情けない。
人間として価値の低いものだ。誰かそれを認めさせて欲しい、そして進む勇気が欲しい。
独りよがりな考えを飽きずに、繰り返し繰り返して、
どうして、諦めきれないのだろうと思う。
私は一体何を、諦めきれていなくて、このままここで
窓の外の世界を考えるだけ考えてから踏みとどまる、
なんで?
考えをやめようとは、思わないのだろうか。
手放してしまえば終わることなのに、私1人息を飲み、
頷けば、きっと済む話なのに。
だけど私の中はどこか、確信に満ちていて、
考えることを止める選択肢は残されていなかった。
明確な答えは分からない、今はとにかく
自由を手放したい気分だった。
でも結局、自由に縛られたまま、
『また』だ、窓の下に落ちた時の感覚を想像する。
揺れる木陰に目を伏せて
ザワザワと響く風の音に、ふと視界を閉ざす
美しい物を見ていると、私はよく人のことを考える
今、私が感じている”美しさ”はなんであれ
誰かもまた、同じ木陰で、ふと目を伏せたことがあるのだろうか
もし、誰か。いや、きっといるであろうその人は
揺れる木陰や風の雰囲気に風情を感じるその人は
”時代を超えて今ここに居るはずだ”
と私はどこかで勝手に、信じ出す
いつの時代でも同じ世界で、同じ感性や感覚を
誰かと共感している感覚は、なんだか嬉しいもので
そのどこかの誰かを、少し身近に感じる
風が止んでまた顔を上げる、静かな並木道に1人でも、どこか確かな世界に、肩を並べる人が居た気がした。
真昼の夢、白昼夢の事だろうか
何となく言葉からそのイメージが湧いた
白昼夢って、単語は知っているけれどハッキリと意味は分からないな
少し調べてみる。日中、夢を見ているように想像や妄想の世界に耽けること…らしい。
思ったより身近、と言うか私にとってはまさに日常
ドグラ・マグラとか読める形にした白昼夢なのでは?
読んだことないけど、そんな雰囲気だったなぁ
なんてボーッと物思いにふける今も、
もしかしたら”白昼夢”に入るのだろうか
なんて、取り留めのないことを考える
白昼夢って言うと堅苦しいけど、真昼の夢って言った方がロマンチックで良いなと感じて
少し気分よく格好付けて目を伏せてみた、
教室の外から少し慌ただしい声が耳に入る、もうすぐ授業再開か。スマホをカバンにしまい、顔を上げる
勿体ないな、せっかく真昼の夢にふけっていたのに