※もう1つの物語
例え話をするならば。
もし鬱病にならなければ、私はプログラマーだった
就職先も決まっていて、独居住居手当の出る企業
感覚が違いすぎて話が通じない家族と
どうしても距離を取りたくて仕方がなかった
暴言と医者に判断されるような口調が成立する家族と
本気で物理距離を置いて生きただろう
その当時、うちの家族は毒しか無いと思ってたから
ところがどっこい卒業寸前で
1人で部屋から出れないほどの鬱病になってしまった
というのは家族に聞いた話で記憶にない
毒に見えた家族は、妙薬口に苦しだった
今思うと家族をないがしろにしていたのは
私だったから罰が当たったのかもしれないなぁ
※暗がりの中で
今でこそ夜は
寝付く時間をのんびり過ごすようになったが
記憶が飛んでいた間や
相性の良いお薬に出会うまでは
本当に夜という時間、暗いというのは恐怖だった
せん妄なのか寝ぼけているのか
部屋の中を落ち武者が列を成して横切ったり
トイレに行こうとすると
白いワンピースを着た貞子っぽいのがいたり
まぁ、マトモな時間じゃなかったのだ
鬱病とは最低でも、こんな症状があるんだぜ
※紅茶の香り
非常に個人的な話だが、紅茶の香りは苦手だ
ついでに言うと飲めないものが多い
私は軟水が好き
抹茶は苦手、コーヒーも苦手、ジュースもたまに飲む
そんな人間なのですが
コーヒーの香りは好きだったりします
あと香水は甘いフルーツ系だと嬉しい
洗剤の香りは、ある意味最強だと思っている
柔軟剤の香りは実は要らないよなーと思いつつ
紅茶の香り。
アッサムのミルクティーなら好きかもしれないなぁ?
※愛言葉
うちの母は愛言葉が苦手である
例えば、褒めるという機能が無いに等しい
しかも私が成人後に指摘するまで
自覚すら無かったという筋金入りである
行動で愛は示されている
だが大変分かりづらい行動をするので
それが愛言葉の代わりと気付くのも難しい
その反動だろうか?
私は言葉できちんと言いたい人間になりました
※友達
私は精神疾患で記憶が無い時期が5年ある。
その間も今も、私を友達と呼んでくれる人が、3人。
私がどんなに泣き喚こうとも
せん妄で妄言を吐きたくろうとも
楽しくお喋りランチやカラオケをしたり
調子に乗りすぎて体調不良を起こそうとも
彼女たちは私を「友達」と呼んでくれている。
これほど友人に恵まれている事は稀だと思う。
そんな友人を心から「友達」と呼べるまで
私は出会ってから25年も掛かってしまったんだ。
対人恐怖症が強すぎて、信じられなかった。
そんな言い訳のつく懺悔。