Open App
3/6/2026, 6:00:18 PM



色々書いていたら自分しかわからない日記のようになってしまった
am3:00だからまあいいかな、で投稿する


目の前の問題があって、世界と日本の問題があって、どちらも逼迫している
どうにも立ち行かない
こんな時代に生まれてしまった 
けど、こんな時代に生まれてしまった仲間たちがいるのだけが唯一の救いかな 絆ってヤツ
最終的に、自分の面倒は自分で見なきゃいけないんだけど
だからみんな家族をほしがるんだろうな 最近やっとわかった
でもそのための家族ってなんなんだろうね 自分の欲望のために関係性を消費してるんじゃないかって
こういうことねちねち考えてしまうから、目の前の問題が解決しないんだろうな
幸い周りの人間には恵まれて、現実を生きていると世の中案外悪くないなって思うことの方が多いんだけど、板越しに見る情勢は不安なものばっかり
何もかも跳ね返せるくらいの力が欲しい

こういう時、生物が好きでよかったなと思う
私のいう生物は、生き物という意味と、生物学という意味を含む
生物も生態系も、私の感情を意に介さない
辛い時に好きな生き物と偶然出会うことができて、それはまるで私のことを慰めているみたいだけど、実際そんなことはない
本当に偶然で、なにがしかのアルゴリズムで動いていて、生物も生態系も私の感情や思想を全く反映しない、そのことに何度慰められたかわからない
私が死んでも何も変わらない生物のことが好き

最近教授と雑談していて気がついたが、私は思っていたより自分を消費されるということが嫌いなのかもしれない
死は多くの人にとって消費しないと乗り越えられないから

海を見ていると、学問的な面白さとは別の、こういう意味で、生物が好きだと再認識させられる
夜の海は黒曜石みたいだと思う
磯の香りは生き物が腐った匂い
夜の海に足を掬われて流されたら、少なくとも朝までは助けに行けない、と先生に言われた だから気をつけてねと
最初の頃は夜の海が怖かった、攫われたら本当に死ぬと思ったから いやほんとは、今も少し怖いけど
波の音が低くただ響いていて、誰も私のことを見ていなくて、死ぬつもりは一切ないけど、ただ海は、私がどうしようもなくても順風満帆でも、どうやら私の何倍ものスケールでそこにあるから
波の音、潮の匂い、黒いかたまりが押し寄せたり引いたり、ここにいると自分の存在が許される気がする

生物は海から生まれたが、いずれ海に還れるのかな
みんな墓に入りたがるけど、私は死んでまで社会の檻に閉じ込められたいとは思えない
ここでの正しい漢字は還る、だけど、帰る、を使いたい 私の帰るところは海って思えたらいいのに、変な人間

だいぶ前、人が私の尊敬してた人のことを、生きづらそうな人だよね、と評していてなるほどなと思った
生きづらそうな人というラベリングの仕方が目新しかったのもあるし、私はそういうところに人間的な魅力を感じてるのかもしれないなと気づいた

でも私は自分のこと生きづらい人とは思いたくない
これはプライドとかとはまた違って、私はこんなに人にお世話になってるのに生きづらいとか言っていいのか
今ふと、質問よく行ってた予備校の先生に、あなたにはあなたの哲学があるんだと感じる、と言われたのを思い出した
これは私の哲学だから、生き方の
それで生きづらいって言うのは違うってことかも

馬鹿みたいな文章
どこからが本当でどこからが他人に見せるために書いている文章かまったくわからない
でも今日は校正とかしていないから、考えたことそのまま出力してはいる
相対でないと言葉は生まれないみたいな話もあるし

すくなくともマジョリティではない、ということがある程度アイデンティティになっている 恥ずかしいことに
変な人間であるという自覚はあって、自我を出していないつもりなのに個性的だよねって言われたのがショックで
普通に固執している一方、自分の思想にプライドがあり、つまり変な生き方を良いと思っているという矛盾

人間の矛盾しているところ(そしてその矛盾に自覚的であれてしまうところがなお)好きなのに自分の矛盾は許せない矛盾の入れ子構造


今年はいろんな人と会えた
今年、というか今年度
春、夏は今思えばずっと焦ってたかも
これは今日教授とも話したことだけど、やっと身の回りが落ち着いたはずなのに趣味の何しても楽しいと思えなくて、とにかく前に進まなきゃみたいな気持ちがあった
今もそれを拭えてるとは言えないけど、
色んな人がいて、その人の人生で大事にしてるものが違う それも素敵だよなと思えるくらいには余裕ができた
実名は出せないけどいい出会いだったと思う
卒業されるけど
教授にもお世話になりっぱなし ありがたいことだと思う

少しずつ人生良くなってると思う 私にバンザイ

12/8/2025, 1:53:53 PM

雪原の先へ
雪原って本当に眩しくて、白がずっと広がるから、俵万智さんの予定帳の短歌を思い出す

あの短歌、本当に好き
同じところにいると色々鈍りがちだけど、そういう気持ちを忘れないでいたいなと思う

12/7/2025, 12:14:37 PM

白い吐息
異様に冬に取り憑かれている気がする
寒い季節の方が好きだけど、碌なことがない
何か言葉にしようとするたびに、それが他人に見せようとして出たものなのか、身を削って出たものなのか分からなくなる
前者の時の自分の言葉は厨二病みたいで嫌いだけど、書き終わったら満足して何度も読み返したりする
それで翌日消す
人の見えるところに出さなきゃいいのに、私は気に入っていて、他人に認められたい気持ちがどこかにある
そうして何かを書いているうちは、私のなりたい何にもなれなくて、そんなことは分かっているが、一つも前に進んでいない
前という言葉が嫌いで、さっきも日記で使わないようにしていたのに、また書いてしまった
前とは何、私は別に前を目指してるわけじゃない
こうやって書いたことも駄々を捏ねている子供みたいで、厨二病と何も変わらない
身を削って書いた言葉は綺麗だと思う
だから、身を削るように自分を追い込んでいて、擬似的に身を削っている
だから天才じゃないのだと思う、
普通にもなれず、馬鹿にもなりきれず、天才にもなれない自分は何者なのか、直視するのを避けてきた
普通にもなれないというのは、凡人であることを否定する言葉ではなく、私は普通にも合わせられない
自分を凡人と書くことに頭の中の人が抵抗してくる、お前には一生普通でないという証明書がついてまわってよかったねと、自分の思考すら責任転嫁してこのように書く
自分のなかの、自分の悪口を言ってくる人が頭の中を支配している時は本当に何も見えなくて、思考が曇っているように思うのに曇りは一向に取れなくてイライラして自分を罵倒する言葉を書き殴っていた
そういう自分を許してしまうと終わる気がしていた
いつからかインプットが減って、自分を罵倒する言葉すら見つからなくなり、考えを一旦やめることで自分を許す、というか目を逸らして、現実のあれこれを乗り越えるしかなかった
そうしなかったら本当に死んでいたと思う
仕方なかったかな、でも今の自分は全く仕方なくない
自分を振り返る余裕ができたことで、考えることから逃げられなくなったことに最近気づかされた
予定を詰めていたのは無意識に逃げようとしていたからで、その間の苦しさの理由も分からなかったのは、考えることから逃げている自分に慣れてしまっていたからじゃないか
周りの人は思ったよりも考えている、そうじゃない人も当然いるけど、私のいいなと思う人はインプットして、考えてきた人ばかりだ
私にためられてきた思考は全部尽きていて、とにかくインプットが必要なんだと思う
すればいいけど、おかしくて、生きていたら授業を受けて友達と話し課題をやって勉強をして、バイトをしてサークルをして、やることやって、風呂に入って、寝なきゃいけない
勝手にお腹は空くし風呂は入らなきゃいけないし、部屋は汚くなるし服はなくなっていく、将来のためにはお金を稼がなきゃいけず、止まっている時間なんてない
それをしながら本を読んで考えればよくて、それはその通りなんだけど、私が本当に駄々を捏ねているだけで
人が生きるために必要なこと全部、機械とかがやってくれたらいいけどそんなお金もないから
私が何人かいたらって何度思ったか分からない、私は治ったと思ってたけど多分そんなことないのかも
私は多分普通の人より何かをしたり受け止めたりするのに使う精神力が異常に必要で、体が追いついても頭の方が追いついていかない
だから何人かいたらこの負担を何等分かにできるんだけど、でも皆これを1人で抱えてるんだよね、私が異常なだけで
もっとシステマチックに生活できればどうにかなるんだけどな
一個一個こなすしかないってわかってるよ、結果的に停滞にしかならないかもしれなくても

6/23/2025, 12:53:30 PM

子供の頃の夢
なんか公開したくなくなったので自分のメモに移行…

4/10/2025, 3:02:03 PM

あまりにもねむすぎるので明日の朝気が向いたら書き切る
とりあえず記録


夢へ!
夢を持っていることを褒められていたのは、いつまでだっただろうか。
私は昔から、将来学びたいことがそれなりに明確にあった。夢はなんですか?というのは、言葉を変えて色んなタイミングで聞かれる内容であるから、私はそのたびに、あれそれを学んで、将来はどうこうしたいなどと私の中でお決まりの解答を答えていた。中学生くらいまでは、夢が決まってるのはいいことだねと褒められることが多く、私としては純粋な気持ちを答えて褒められるという嬉しいような、腑に落ちないような気持ちにさせられていた。
ところが一変、高校生、進路を具体的に決めるあたりから、大人、とくに先生に夢を話すと「今後どんなことと出会うか分からないから、決めすぎない方がいい。視野を広く持ちなさい。」と言われることが増えた。
私とて、そんなことは分かっている。お決まりの解答とは言っても、色々なことを考え、知って、軸は変わらずとも姿形を変えて今にいたる夢を話しているのだから、将来またそれが形を変えるかもなんて当たり前なことを言われるのが不服だった。
将来の私の考えなんて分かりようがないんだから、今目の前にいる人には、今の私の考えをちゃんと見てほしかった。

あれから数年が経ち、改めて、あの時話した夢へ、向かえているか考える。
「将来を決めすぎないこと」と久しぶりに言われたのは、受験が終わり、予備校の先生に合格の挨拶へ行った時だった。
夢には、学力が必要だった。夢へ近づくことは、昔の私が考えていたよりずっと容易ではなかった。受かり、通うことなった大学は、本意ではない。もちろん可能な限り努力はしたし、成長もしたけれど、結果はこうだった。まったくやりたいことへの道が閉ざされたわけではなく、夢へ斜め前一歩進むといった感じの状況に、私は悔しさと不安と期待と色んな感情を胸にいっぱい詰めて合格報告へ行った。
それでそのまま、その色んな感情を先生に聞いてもらった。私はよく質問へ行ったりして、先生方にはとてもお世話になっていた。
色んな、たくさんの言葉をもらった。その多くは独り占めしたいのでここには書かないけど、そのうちの一つが「将来を不安視しすぎず、どうにかなると思って決め打ちしすぎないこと」だった。






夢を褒められることはなくなった。けれど今、友達と学びたいことを話す時、先生にどんなことを学んでいたか聞く時、

Next