あまりにもねむすぎるので明日の朝気が向いたら書き切る
とりあえず記録
夢へ!
夢を持っていることを褒められていたのは、いつまでだっただろうか。
私は昔から、将来学びたいことがそれなりに明確にあった。夢はなんですか?というのは、言葉を変えて色んなタイミングで聞かれる内容であるから、私はそのたびに、あれそれを学んで、将来はどうこうしたいなどと私の中でお決まりの解答を答えていた。中学生くらいまでは、夢が決まってるのはいいことだねと褒められることが多く、私としては純粋な気持ちを答えて褒められるという嬉しいような、腑に落ちないような気持ちにさせられていた。
ところが一変、高校生、進路を具体的に決めるあたりから、大人、とくに先生に夢を話すと「今後どんなことと出会うか分からないから、決めすぎない方がいい。視野を広く持ちなさい。」と言われることが増えた。
私とて、そんなことは分かっている。お決まりの解答とは言っても、色々なことを考え、知って、軸は変わらずとも姿形を変えて今にいたる夢を話しているのだから、将来またそれが形を変えるかもなんて当たり前なことを言われるのが不服だった。
将来の私の考えなんて分かりようがないんだから、今目の前にいる人には、今の私の考えをちゃんと見てほしかった。
あれから数年が経ち、改めて、あの時話した夢へ、向かえているか考える。
「将来を決めすぎないこと」と久しぶりに言われたのは、受験が終わり、予備校の先生に合格の挨拶へ行った時だった。
夢には、学力が必要だった。夢へ近づくことは、昔の私が考えていたよりずっと容易ではなかった。受かり、通うことなった大学は、本意ではない。もちろん可能な限り努力はしたし、成長もしたけれど、結果はこうだった。まったくやりたいことへの道が閉ざされたわけではなく、夢へ斜め前一歩進むといった感じの状況に、私は悔しさと不安と期待と色んな感情を胸にいっぱい詰めて合格報告へ行った。
それでそのまま、その色んな感情を先生に聞いてもらった。私はよく質問へ行ったりして、先生方にはとてもお世話になっていた。
色んな、たくさんの言葉をもらった。その多くは独り占めしたいのでここには書かないけど、そのうちの一つが「将来を不安視しすぎず、どうにかなると思って決め打ちしすぎないこと」だった。
夢を褒められることはなくなった。けれど今、友達と学びたいことを話す時、先生にどんなことを学んでいたか聞く時、
4/10/2025, 3:02:03 PM